《稲の葉擦れの音》

題しらす みつね

ひとりしてものをおもへはあきのよのいなはのそよといふひとのなき (584)

一人して物を思へば秋の夜の稲葉のそよと言ふ人の無き

「題知らず 躬恒
一人で物を思うと秋の夜の稲葉のようにそれよと言う人がいないことだ。」

「(思へ)ば」は、接続助詞で偶然的条件を表す。「秋の夜の稲葉の」は、「そよ」を導く序詞。「そよ」は、葉擦れの音と「そよ(それよ)」という人の言葉の掛詞。「無き」は、形容詞「無し」の連体形で余韻を持たせている。
秋の夜にこうして物思いをしていると、外では稲葉の葉擦れの音が「そよそよ」と聞こえてきます。なのに、ここが「それよ」と言って訪ねてくれる人がいないことです。
この歌は、躬恒が女の立場で歌ったものだろう。訪ねて来るのは男だから。恋しい人を待っていると、稲の葉擦れの音からもこんな連想をしてしまうと言う。作者は、こう言うことで相手に自分の思いの深さを伝えている。男心を動かしそうだ。
『古今和歌集』の歌の題材は限られている。その理由は誰しもが共感できる題材に限定したからだろう。だから、奇を衒うような題材は出て来ない。限定した題材をいかに工夫を凝らすかが問われている。この歌では、稲葉の葉擦れの音と人の言葉を掛けている。これは新鮮な取り合わせであり、その目の付け所に発見がある。編集者は、この点を評価したのだろう。

コメント

  1. まりりん より:

    外で、稲葉の葉擦れの音がする。もしや愛しい人が逢いに来てくれたのかと期待するも、風が葉を揺らしただけだった。。やはり自分を訪ねてくれる人はいない。
    秋の物悲しさと葉擦れの音で、一層寂しさが募りますね。

    • 山川 信一 より:

      葉擦れの音は、悲しさ寂しさをいざないます。「そよ」の掛詞の効果が一層ましますね。

  2. すいわ より:

    「秋風が稲葉を揺らす。柔らかな葉擦れの音。それはあなたの優しい囁き声にも似て、こんなにも秋の音に満ちた夜は、より一層あなたのお側にいない事が身に染みる。」と待っていてくれる女を躬恒さんは愛おしく思うのですね。何気ない秋の風情、誰もが共感を覚えるに違いありません。稲穂ならば何がしか実るものもありそうなのに稲葉なところがまた空疎なものを感じさせます。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、この歌の作者は、躬恒が理想とする女性でもあるのですね。こんな風に自分を待っていてくれる女性、それを思い描いて詠んでいるのですね。しかし、女は男の理想通りとは限りません。だから、こんな風に詠みたくなるのかもしれませんね。

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