題しらす 読人しらす
よひよひにまくらさためむかたもなしいかにねしよかゆめにみえけむ (516)
宵宵に枕定めむ方も無しいかに寝し夜か夢に見えけむ
「夜ごと枕を定めるところも無い。どのように寝た夜夢に見えたのだろうか。」
「(定め)む」は、助動詞「む」の連体形で未確定を表す。「(寝)し」は、過去の助動詞「き」の連体形。ここで切れる。「(夜)か」は、係助詞で疑問・詠嘆を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「(見え)けむ」は、過去推量の助動詞「けむ」の連体形。
毎晩、どの位置に枕を置こうか、決めようがありません。どう枕をして寝た夜にあなたが夢に見えたのでしょうか。その時のように枕を置けば、またあなたが夢に現れてくれるだろうかと、枕の位置をいろいろ変えてみます。けれど、どうしてもうまくいきません。私はこんな夜を過ごしているのです。夢は無理なので、逢ってください。
作者は、恋人に実際に逢ってもらえない。ただ、一度だけ夢で逢うことができた。それで、枕の位置によって逢えたのではないかと思い込み、その枕の位置を探している。しかし、その夜と同じ位置に置こうといろいろ変えてみるが上手く行かない。そのことを歌にして贈る。いかに自分が四六時中恋人のことを思っているかを訴えている。自分の真剣さ、思い入れのほどをアピールしているのである。枕の位置という着眼点はユニークである。しかし、奇を衒ってはいない。恋していれば、そう思いたくなる気持ちにもなりそうだ。何であれ縋りたくなるからだ。恋を知る読み手なら、共感できるだろう。これは恋の普遍的心理である。枕からでも恋の歌は読めるのである。編集者は、その発見を評価したのだろう。
コメント
夢に人が現れるとその人が自分を思ってくれているなんて言いますね。現実では会えない人が夢の中に現れて詠み手はそれこそ夢心地。目覚めて我に返る。さて、私はどんな風に寝ていたろう?その時を再現すべく毎夜毎夜枕の位置を変えてみる。まさに寝ても覚めてもの涙ぐましい努力。
夢で何を見たのかには一切触れていないのに詠み手の気持ちが伝わります。
夢で何を見たかは言わずもがなのことだったからですね。この歌では、逆に言ったら野暮になります。もちろん、言った方がいいケースもあります。一概にどちらがいいとは言えません。
一度夢に逢いに来てくれたのですから、本当に逢ってくださいと言うのでしょうね。
想う人が、夢に逢いに来てくれた。自分の強い想いが通じた。でも枕の位置を覚えておらず、その後二度と夢で逢うことが出来ずにいる。
枕の位置が逢瀬の入り口、という発想が面白いですね。
逢えなくてつらい時には、何にでもでもすがりつきたくなります。枕の位置という発想は、ユニークですが、逢えたなら、どこかに秘密の入口があるはずと考えることに共感してしまいますね。