《恋は秘め事》

題しらす 読人しらす

よしのかはいはきりとほしゆくみつのおとにはたてしこひはしぬとも (492)

吉野河岩切り通し行く水の音には立てじ恋ひは死ぬとも

吉野川が岩を切り裂いて行く水のように音には立てまい。恋い死にはしてとも。

「吉野河岩切り通し行く水の」は、「音」を導く序詞。「音」には、〈うわさ〉の意が掛かっている。「(立て)じ」は、打消意志の助動詞「じ」の終止形。以下は倒置になっている。「恋ひは死ぬ」の「は」、係助詞で「恋ひ死ぬ」を強めている。
吉野川が岩を切り裂くように激しく岩間を流れていく。その水音のようには、噂を立たせまい。人に知られないように振る舞おう。もちろん、吉野川の流れのように堂々と音を立てらればいいのだが、決してそれはできない。たとえ、その振る舞いの苦しさに恋い死にしようとも。自分は死んでも、恋は死なせたくないのだ。
前の歌に続けて「水」を題材にして、恋が秘め事であることを言う。恋は、人に知られてはならない。恋しているのを人に知られれば、妬みを買いやすい。どんな嫌がらせを受けるか、邪魔が入るかわからない。誰しもが望むけれど、そう簡単にはできないからだ。その結果、自分や相手の名誉に傷が付くかも知れない。だから、思いのままに行動することはできない。それどころか、ひたすら自分の心を隠して行かねばならない。ただし、それは死んでしまうほど苦しい。しかし、それに耐えることが恋するということなのだ。この歌では、その状態を際立たせるために、吉野川の情景や水音が対照的に用いられている。

コメント

  1. まりりん より:

    周りを気にする事なく思い切り水音を立てて川を渡れたら、気持ちが良いでしょうね。でも音を立てないようにしないと、恋を人に知られないようにしないと横槍が入る。邪魔をされない為にも秘密にしておかなくては。
    水は、水面下で少し動いただけで水紋が立ち周囲に広がっていく。油断できないですね。

    • 山川 信一 より:

      「吉野河岩切り通し行く水の」は、吉野川の流れそのものを言っています。作者が「周りを気にする事なく思い切り水音を立てて川を渡」ることは想定されていません。元よりそんなことができる流れではありません。

  2. すいわ より:

    吉野川というと貫之の「吉野川岩浪高く行く水のはやくぞ人を思ひ初めてし」を思い出します。今回の歌とは対照的、「巻頭の歌+490」のように、初恋の無邪気に恋心を露わにする様子と大人の秘めた恋の様子を描いてみせたように思えます。
    岩を砕くほどの水の勢いをイメージさせておいてそれを抑え込む事と秘める恋を重ねてその辛さに共感を求める。成功していますね。

    • 山川 信一 より:

      「吉野川」繋がりで、こう読むこともできますね。
      恋は秘めねばならなりません。たとえ、そのつらさに、恋い死にしたとしてもです。大人の恋とはそういうものなのでしょう。

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