《誇張表現》

おきひ みやこのよしか(都良香)

なかれいつるかたたにみえぬなみたかはおきひむときやそこはしられむ (466)

流れ出づる方だに見えぬ涙河沖干む時や底は知られむ

「流れ出る方向さえ見えない涙の川。沖が干上がる時に底が知られるのだろうか。」

「(方)だに」は、副助詞で最小限を表す。「(見え)ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形で「涙」に掛かる。「干む」の「干」は、上一段活用の動詞「干る」の未然形。「む」は、未確定の助動詞「む」の連体形。「(時)や」は、係助詞で疑問を表し係り結びとして文末を連体形にする。「(知ら)れむ」の「れ」は、助動詞で可能を表す。「む」は、推量の助動詞「む」の連体形。
どこに向かって流れ出て行くのかさえもわからない川のように激しく流れ出る涙。川の底は、涸れる時にわかる。しかし、私の涙の川は、今のところ底さえもわからない程流れている。
題は、「熾火」である。そこで「火」と対照的な「水」を連想した。また、「おきび」は、薪の燃え尽きて赤くなったものである。そう簡単には消えない。そこからの連想で尽きない涙を出してきた。熾火がなかなか消えないように涙川の沖が干上がらないと言う。こう表現したくなるほど、悲しみで涙が止まらないのだ。
これは誇張表現である。誇張表現は、これくらい大袈裟な方が効果的である。中途半端だとかえって嘘くさくなる。

コメント

  1. すいわ より:

    貴方は私がこうも泣いている理由がお分かりにならないのでしょうね(流れ出づる方だに見えぬ)。私の気持ちは沖の底に。そう、涙が涸れて干上がり海の底が見えたなら貴方にもその訳が分かることでしょう。でも、私のこの涙、止めようもないのです、分かるはずがない、、ここまで盛大に拗ねられたら絆されるのでしょうか。でも隠された気持ち、炎が上がっていなくても熾火の熱は芯まで焼き尽くす力を持っているから、、

    • 山川 信一 より:

      歌は世界で一番短いドラマですね。すいわさんの鑑賞がそれを照明してくれました。この歌を元に本格的なドラマもできそうですね。さて、舞台は、登場人物は、どうしましょうか?役者は誰にしましょうが?想像力(創造力)が刺激されます。

  2. まりりん より:

    舞台のお芝居みたいですね。大袈裟すぎるくらいの演技が、客席から見るとちょうど良いのだとか。
    涙が枯れ果てたのち、その人はどうなるのでしょう。前を向くのか後ろばかり振り返るのか、、それこそが涙川の川底に隠れているものですね。きっと人それぞれですね。

    • 山川 信一 より:

      「舞台のお芝居」は、言い得ています。歌は世界一短いドラマですから。大袈裟でも許されます。いや、大袈裟すぎるくらいが丁度いいのかも知れませんね。
      では、底にはどんな心が隠されているのでしょう。なるほど、それこそがその人の本性ですね。ここでは、作者はそれが「熾火」のように燃え尽きない心だと言うのですね。

  3. すいわ より:

    かこちがお厳しき風に波立てる水底の玉砂に埋もれ
    題に寄せようと思ったのですが難しいです

    • 山川 信一 より:

      確かに、この歌単独ではままでは、意味が今一つはっきりしません。状況設定は、「おきび」の鑑賞を踏まえての者ですね。
      *表現は意味はさて置き惹かれぬる託ち顔なる心ぞ知れる

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