《物名のゲーム性》

すもものはな  つらゆき

いまいくかはるしなけれはうくひすもものはなかめておもふへらなり (428)

今幾日春し無ければ鶯も物は眺めて思ふべらなり

「もう幾日も春が無いので、鶯も物をじっと眺めているようだ。」

「(春)し」は、強意の副助詞。「(無けれ)ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「べらなり」は、推量の助動詞「べらなり」の終止形。
そろそろ春が終わろうとしている。春はあと何日も無い。だからだろうか、私だけではなく、鶯もうち沈んでものを思っているようだ。
この歌も題の「李の花」自体から離れて、全く無関係な内容になっている。李の花は、梅に続き、桜の前に咲く。春の終わりを告げる花ではない。この歌は、「すもものはな」を如何に巧みに隠すかに徹している。だから、漢字仮名交じり文にしてしまうと、容易には見つけられない。これなら、題を隠して「この中にある植物が隠されています。それは何でしょうか?」というゲームに使えそうだ。そうした楽しみに使うならば、むしろ、題とは無関係な内容の方が都合がいい。関係があると、それがヒントになってしまうからだ。

コメント

  1. まりりん より:

    物名は確かにゲームになりますね。言葉遊びが目的と割り切れば、内容の多少のこじ付けも許容できます。結構楽しくて私は好きなのですが、頭を使いますね。
    それにしても、「すもものはな」がうまく隠せません。。

    • 山川 信一 より:

      「すもものはな」は六音ですからね。これを詠み込むのは至難の業です。題は内容に生かせないでしょう。ならば、上手に隠す方に徹した方がいいですね。
      それで、次回からは、あらかじめ題は書きません。毎回何が詠み込まれているか当てるクイズに挑戦してみましょう。

  2. すいわ より:

    洋の東西を問わず人はゲームが好きですね。騙し絵、隠し絵、アナグラム、シークワーズ、、そして物名。千年の時を超えて貫之の手の内にはまり試みてしまった自分がいる事を思うと、それがどんなきっかけであれ「歌」に関心を持たせることに成功している。どこからでも入れるよう、至れり尽くせりな歌集ですね。

    • 山川 信一 より:

      確かに、『古今和歌集』は和歌をあらゆる角度から検証し楽しむ歌集ですね。貫之の導きに従って楽しんで読んでいきましょう。

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