藤原のこれをかかむさしのすけにまかりける時に、おくりにあふさかをこゆとてよみける つらゆき
かつこえてわかれもゆくかあふさかはひとたのめなるなにこそありけれ (390)
かつ越えて別れも行くか逢坂は人だのめなる名にこそありけれ
「藤原惟岳が武蔵の次官に下った時に、見送りに逢坂を越えるということで詠んだ 貫之
引き留められる一方で別れて行くことだなあ。逢坂は人に頼もしく思わせる名だったのだなあ。」
「(別れ)も(行く)か」の「も」は係助詞で強調。「も」は終助詞で詠嘆。ここで切れる。「(名に)こそ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を已然形にする。以下に逆接で繋げる。「けれ」は、詠嘆の助動詞「けり」の已然形。
藤原惟岳が武蔵の国へ次官を務めるために下った時に、送別に「逢坂を越える」ということで詠んだ。
あなたは引き留められるそばから、この逢坂を別れて行くことになるのだなあ。「逢坂」と言うからには逢うのだとばかり思っていましたが、実は別れるところであったのですね。名を当てにしてがっかりしました。この名は、頼りにさせるだけのものだったと改めて気づきました。でも、気づいたところでどうなるものでもありません。あなたとの別れが悲しくてなりません。お名残惜しゅうございます。
この歌は公式の場で頼まれて作った歌なのだろう。個人的心情を詠んだと言うよりは離別歌のお手本を示している感じがする。すべてが綺麗に整っているからだ。当時は東国に行く人を逢坂の関まで見送るのが通例になっていた。ものごとは通例になると「そういうことになっている」と思って、何の疑問も抱かなくなる。ただ慣習に従うだけになってしまう。しかし、それは和歌を作る態度ではない。常識に疑問を持ち、何かを発見する態度を持つべきである。そこで、作者は逢坂という名が現実に即していないとクレームを付け、それによって別れの悲しみを表現してみせた。作者はこういう気付きこそが和歌には重要なのだと考えている。離別の悲しみをそのまま述べても伝わらないからだ。
コメント
冒頭の「かつ越えて」というのが強い印象。惜しまれ止めようとするものを敢えて越えて行く。頼みの綱の「逢坂」の名も行く人を踏みとどまらせる事は出来ない。逢坂はそういう場なのだ、と。374番の歌でも「逢坂」の名は別れの場だと言うのにと非難されていましたね。ある意味テンプレなのかもしれませんが、「悲しみ」を露わにするきっかけが欲しい時ってあります。そんな時に機能する「装置」としての「逢坂」。送る側の悲しみの気持ちの落とし所になってその痛みが少し和らぐようにも思えます。だからなのか感情的な印象がない。頭で分かっていても気持ちがついて行かない事ってありますが、この歌はその逆、心を整理して納得させられます。
理屈によって心を宥める。なるほど、そんな働きもありますね。この歌は、第一句の入り方に工夫があるのでしょう。「逢坂」自体は、374番にもあり、新鮮味を感じません。でも、これとても使いようだと言うことでしょうね。
「逢坂」だから「逢う」ところだと思いきや「別れる」ところだった、ということですか。なるほど、確かに名前と実際とが違いますね。作者はこういうことに気付くところが凄いですね。
「常識に疑問を持ち何かを発見する態度」。耳が痛いです。そう心がけていると、きっと人生が何倍も豊かになりますよね。
常識にはそれがあるだけの理由があります。だから、非常識はいけません。それを尊重しないと。でも、その中に埋没していてもいけません。常識が絶対ではありませんから。