あつまの方へまかりける人によみてつかはしける いかこのあつゆき
おもへともみをしわけねはめにみえぬこころをきみにたくへてそやる (373)
思へども身をし分けねば目に見えぬ心を君にたぐへてぞやる
「東国地方へ下った人に詠んでやった 伊香淳行
思うけれど身は分けられないので目に見えない心を君に連れ添わせてやる。」
「(思へ)ども」は、接続助詞で逆接を表す。「(身を)し」は、強意の副助詞。「分けねば」の「ね」は、打消の助動詞「ず」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「(たぐへて)ぞ」は、係助詞で強調を表し係り結びとして働き文末を連体形にする。「やる」は、四段活用動詞「やる」の連体形。
東国という遠いところへ下った人に思いを詠んで送った。
君と一緒について行きたいと思う。けれど、僕にも僕の事情があって、それはできない。だから、この身を二つに分けたいくらいだ。けれど、それもできない。そこで、目には見えないけれど、君といつも一緒にいたいと思う心を君に連れ添わせてやろう。僕はいつでも君の傍らに連れ添っているよ。
「つかはす」とあり、「君」とあるから、これも親しい友へ贈った歌である。「やる」というぶっきらぼうで直接的な表現からは、かなり親しい関係であることがわかる。作者は以下のように思った。友は、遠い東国に旅立つ。そこはあまりに遠く、もう二度と会うことができないかも知れない。寂しさと悲しみとで身を引き裂かれるばかりだ。その思いは、友も同じだろう。できることなら、身を分けてついていきたい。しかし、それも叶わない。だから、せめて心を連れ添わせよう。目には見えないけれど、きっと友は自分がそばにいることを感じてくれるはずだ、と。作者の真心は友をどれほど喜ばせたことか。前の歌よりも更に気心の知れた友であるようだ。
コメント
『伊勢物語』第十一段
昔、男、あづまへゆきけるに、友だちどもに、道よりいひおこせける。
忘るなよほどは雲居になりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで
これを思い出しました。これの返歌になりませんか?『伊勢物語』誰が書いたのでしょう?
なるほど、繋げて読みますね。すると、『伊勢物語』を書いたのは、やはりあの人でしょう。
前の歌が最も親しい親友との別れかと思っていましたが、さらに親しい友がいた訳ですね。。
離れることが寂しくて悲しくて心配で、一緒について行きたいけれどそれは出来ない。けれど心は決して離れない、いつも君のそばに居るよ、と。送られた友は、勇気を持って旅立てたことでしょう。
(368)の子との別れの歌も、心はいつも傍にと詠んでいましたね。相手を大切に思う気持ちはとても尊く、心の距離を他者が引き離すことはできないですね。
更に親しいと言っても、考えてみれば、親しさの比較は難しいですね。様々な付き合いがあり、それの応じた様々な思いがある、それだけかも知れません。