残月光冷ややかに

 時に、残月、光冷《ひや》やかに、白露は地に滋《しげ》く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖《はっこう》を嘆じた。李徴の声は再び続ける。

 春菜先輩に戻った。今日の割り当て箇所は短いね。あまり問題無さそう。
「この段落の役割はなあに?純子、わかるよね。」
「やはり幕間の役割を果たしています。あまりに刺激的な話が続くので、一息入れてるんです。」
「そうだね。読者が気持ちを整理する時間を与えているようだね。その他に何か気付くことはある?」
「時間の経過を表しているね。ようやく暁なんだ。」
「「人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖《はっこう》を嘆じた。」は読者の気持ちを誘導している。虎が話していることが気にならなくなるように。」
「人々が李徴を薄倖の詩人だと思っていることもわかるね。すっかり李徴のペースにはまってしまっている。本当は詩人じゃないのにね。」
「あたしは「残月、光冷やかに」ってところが気になるんだ。そもそも、題名が『山月記』だよね。題材からすれば〈人虎記〉でもいいよね。『山月記』という題名にはどんな意味があるんだろう?「月」には、何かが暗示されているような気がする。即興の詩にも出てくるし。それが何かはわからないけど・・・。ね、どう思う?」
「「冷ややか」というのが李徴の嘘を突き放しているようにも思える。ならば、「月」にはすべてがお見通しなんだ。「月」は李徴を虎に変えた創造主かな?それとも、運命かな?」
「手の届かない理想にも思える。それとも、手に入らない名声?認めてくれない世間?」
「これは継続審議だね。」
 人々は、多分袁傪も含めて、李徴の巧みな話術にすっかり騙されてしまったようだ。李徴を詩人だと思い込んでいる。作者は、読者もその中に入れようとしている。でも、李徴の正体を知る「月」は、冷ややかに見下ろしている。幕間の表現にも気を抜けないね。

コメント

  1. すいわ より:

    月は見ている。その月の面に映る自分を李徴は分かっていて冷ややかな気持ちで見ているのではないでしょうか。高く登った月もやがて山の陰へと沈んで行く。李徴の人生も山の山頂から下っていく道。満ち欠けする月のように定まらぬ人生、そして。どんなに足掻いても、陽の元で輝くことのない月。月の裏側も、李徴の本当の心も、誰も知る由もありませんね。

    • 山川 信一 より:

      「月」に関しては、様々な鑑賞があってもいいと思います。ただ、その解釈に整合性が求められます。
      より矛盾なく説明できることが優れた解釈となります。もうしばらく考えてみましょう。
      「冷ややか」が李徴の気持ちというのは、他とどう繋がるのか説明が要ります。

  2. すいわ より:

    心血を注いだ詩を後世に残したいという情熱ではなく、李徴の目指すところの「悲劇の詩人」像を手に入れるべく、千載一遇のチャンスに計略を巡らせ、事の成り行きを見つめている様子を李徴の「冷ややかな」気持ちとしました。月は「さあ、ご覧。これが今のお前の顔だよ」と虎でない李徴の顔を映し出すだろうなぁと思います。

    • 山川 信一 より:

      おっしゃることの意味はわかりました。この先、作品全体を通してその李徴像に矛盾がないかどうかを確かめてください。
      それ故の「継続審議」なのです。

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