題しらす よみ人しらす/この歌は、ある人のいはく、柿本人まろか歌なり
うめのはなそれともみえすひさかたのあまきるゆきのなへてふれれは (334)
梅花それとも見えず久方の天霧る雪のなべて降れれば
「題知らず 詠み人知らず/この歌は、或人が言うことには、柿本人麻呂の歌である。
梅の花がそれだとも見えない。空がぼうっとする雪が辺り一面に降っているので。」
「(見え)ず」は、打消の助動詞「ず」の終止形。ここで切れる。以下は倒置になっている。「久方の」は、「天霧る」に掛かる枕詞。「(降れ)れば」の「れ」は、存続の助動詞「り」の已然形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。
梅の花がちらほらと咲き始めた。しかし、今日は雪が降っている。冬に逆戻りである。空は雪雲で覆われ、降る雪でぼうっと霞んでいる。雪は辺り一面に降り積もっている。そのために、せっかく咲いた梅の花なのに、白さが際立たず梅の花だとも見えない。
冬は行きつ戻りつしながら春へと移ろっていく。そんな季節の一場面を切り取った。やっと梅の花が咲いた。それは小さな、けれど、確かな春の兆しである。しかし、たちまち雪によって圧倒される。この歌は、春への期待と失望、そんな思いを表している。「久方の」という枕詞が利いている。雄大な空と地の片隅の小さな梅の対照が際立つ。また、「天霧る雪のなべて降れれば」という凝縮された描写が的確である。柿本人麻呂の歌というのもなるほどと受け入れられる。
コメント
ちらほらと梅がほころび始め、香りに誘われて外の景色を眺めたのでしょうか、そこはまだ鈍色の空、降りしきる雪。雪とも梅とも見分けのつかぬ白の世界。春はまだかとがっかりする一方で、一面の雪景色のほんの片隅にでも春の気配、欠片を見つけられたら、と春への期待を膨らませるのでしょう。行きつ戻りつする季節と心の浮き沈みがリンクします。
梅が咲いたのに、また冬に逆戻り。しかも、それは圧倒的な冬。春は片隅に追いやられてしまいます。その様子と思いとが伝わってきますね。
梅の開花の頃はまだ真冬ですよね。寒さに辟易している時、梅の花が咲き始めると、確実に春が近づいていることを感じてほっと力が抜けます。でも三寒四温で、季節は行ったり戻ったり。
梅の花の白が雪の白に隠れてしまって、まるで折角やってきた春が、再び勢いを増した冬に隠れてしまったかのよう。
広い空の下に小さな小さな梅。精いっぱいの春の叫びのように感じます。
梅の開花の頃はもう真冬ではありません。梅の開花に待ち望んでいた春の訪れを感じます。ところが、ようやく春が来たと思ったら、また冬に逆戻り。梅の花は、春は、どこに行ったのだという気持ちにあります。共感できますね。