やまとのくににまかれりける時に、ゆきのふりけるを見てよめる 坂上これのり
あさほらけありあけのつきとみるまてによしののさとにふれるしらゆき (332)
朝ぼらけ有り明けの月と見るほどに吉野の里に降れる白雪
「大和の国に行った時に、雪が降ったのを見て詠んだ 坂上是則
朝ぼらけに有明けの月と見紛うほどに吉野の里に降っている白雪よ。」
「月と」の「と」は格助詞で、たとえを表す。「(見る)までに」の「まで」は、副助詞で程度の限度を表す。「に」は、間投助詞で詠嘆の意を添える。「(降れ)る」の「る」は、存続の助動詞「り」の連体形。「白雪」は、体言止めで余韻を持たせる。
大和の国に行き、そこに宿をとった。夜明けに目が覚め、外を眺めると、雪が降っている。外は、ほのぼのと明るくなっている。有明けの月が出ているのかと見紛うほどだ。しかし、それは吉野の里に降り敷いている白雪によるものだった。なんと幻想的なひとときか。
吉野の里の夜明けの雪景色を詠む。一般的に雪の朝は明るい。世界が白い雪に覆われるからだ。この朝も、夜明けにしては妙に明るい。それはまるで有明の月に照らされているようだ。ところが、雪が降っているから、月が出ているはずがない。そこで、吉野の里に降る白雪がどれほど明るいかを悟る。作者は、朝ぼらけという時間帯、有明の月の想像上の明るさ、雪明かりが取り合わせて幻想的な世界を作り出す。そして、旧都に宿をとったことを加えて、異次元の世界に迷い込んだような思いを表す。歌は、句切れが無く、体言止めですべてが「白雪」に収束され、優美な調べを生み出している。
有明の月は、月齢約二十六の、三日月と左右逆に見える月だとも、十六夜以降の月の総称だとも言われる。この場合、月齢二十六の月だと月明かりとしては弱い気がするので、もっと月齢の若い月を指しているのだろう。
コメント
明け方目を覚ますと、障子(でしょうか?)の向こうがほの明るい。寝起きのはっきりしない頭で、こんな月明かりが残っていて昨夜はよく晴れた夜だったかしら、、などと思いながら外を見ると、一面に広がる銀世界。そうだ、雪が降っていたんだったと。雪の明るさと美しさに眠気も飛んでしまったことでしょう。
月も雪も景色をほの明るくするイメージがあるので、この歌は冬の歌ですが明るい印象を受けます。
一日には、特別な時間帯があります。「黄昏時」とか「逢魔が時」とか「トワイライトゾーン」とか。この歌の時間帯もそれでしょう。加えてここは吉野です。作者は、単なる冬の季節感以上のものを感じている気がします。
旅先という非日常、独特の高揚感で目覚めの早いこと、ありますね。
夜明けの気配に誘われて、有明の月を求め外を眺めやると降りしきる白雪。あぁ、冷たい白い月の光と思ったのは雪あかりであったのか。古都、今は寂れた都の幻の月明かり。全てを覆う真っ白な雪の見せる幻燈。
「吉野」「朝ぼらけ」「雪明かり」によって、「作者は日常の時間空間を超えた異次元世界に誘われたようですね。