題しらす よみ人しらす
ふくかせのいろのちくさにみえつるはあきのこのはのちれはなりけり (290)
吹く風の色の千種に見えつるは秋の木の葉の散ればなりけり
「吹く風の色がいろいろに見えてしまうのは、秋の木の葉が散ったからであったよ。」
「見えつる」の「つる」は、意志的完了の助動詞「つ」の連体形。「散ればなりけり」の「散り」は四段動詞「散る」の連用形。「ば」は、接続助詞で原因理由を表す。「なり」は、断定の助動詞「なり」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。
風には色が無いはずなのに、今さっと吹いた風が私の目にはいろいろな色をしているように見えた。不思議に思ったが、直ぐにその理由に気が付いた。それは、紅葉した秋の木の葉が風の中に交じって散ったからだったのだなあ。
これは、風の中に交じる紅葉の残像による錯覚である。作者はそれを優雅なものとして受け入れている。そこで、その印象を微妙で繊細な心の動きによって表す。作者は、まず秋の風が吹いているのを感じる。すると、風に色が着いているように見える。風に色があるはずがないので、不思議に思う。その理由を考える。紅葉が目に入る。紅葉は風に舞い上がっている。それを見て理由がわかる。紅葉が散るとは、風を様々な色に染めることなのだと納得し感動する。
コメント
一斉に木の葉の舞うのを見て、錦の綾のほどけていく様を見ているようだ、と思ったことはありますが、風に色を感じているのですね。
紅葉が如何に色付くか詠まれてきましたが、紅葉が今度は風に色を与えている。それを見る詠み手の心も染め抜かれて行くのでしょう。
この歌は、一瞬色のあるはずのない風に色を感じて、「あれっ、今のは何?」「あれはなんあのだろう?」「そうかそういうことだったんだな。」と納得する。風に色を感じるこもあるという発見と共に、こういう一連の心の動きがテーマになっています。