《秋風の歩み》

いしやまにまうてける時、おとは山のもみちを見てよめる  つらゆき

あきかせのふきにしひよりおとはやまみねのこすゑもいろつきにけり (256)

秋風の吹きにし日より音羽山峰の梢も色づきにけり

「石山寺に参詣した時、音羽山の紅葉を見て詠んだ  貫之
秋風が吹いた日から始まって音羽山は峰の梢も色づいたことだなあ。」

「吹きにし」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「峰の梢も」の「も」は、係助詞で、他も同様であること言う。「色づきにけり」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けり」は、詠嘆の助動詞「けり」の終止形。「日より」の後に小さな切れが感じられる。
秋風が吹いた日は、過去において確かに経験したあの日だ。それ以来、秋風は木々を紅葉させてきた。音羽山の紅葉もその日に麓から始まって峰の梢へと進み、今や、音羽山全体に及んでいるのだなあ。
京都から滋賀県の石山寺に行くには、音羽山の南麓を越えて行く。作者も、麓から紅葉を眺めながら登って行く。音羽山の山頂に到り、そこに生えている木の梢を見ると、木の枝の末までもすっかり紅葉している。秋風も、自分のように音羽山を麓から登りながら木々を紅葉させ、とうとうここに到ったのだと言う。こうして、「峰の梢も」と音羽山のほんの一部を取り上げて、山全体の紅葉を想像させている。

コメント

  1. すいわ より:

    一足一足踏みしめて山を越えて参詣した石山寺。振り返り見ると、今しがた通って来た道程で見かけた紅葉が山の形で見られて殊更に美しい。その美しさは一日にして成るものではなく、私が歩を進ませるが如く秋風の吹いたあの日より、日毎その枝を染めていったのだろう。
    「峰の梢も色づきにけり」、部分が色付いたことを言っていますが、この一言で山全体が錦に身を包んだ様子を思い浮かべられます。

    • 山川 信一 より:

      一首の中に音羽山の時間と空間を詠み込みました。「峰の梢も」の「も」が利いていますね。作者の歩みと秋風の歩みが重なります。

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