第二百三十八段  兼好の自慢話 その六 ~人物識別~

一、賢助僧正にともなひて、加持香水を見侍りしに、いまだ果てぬほどに、僧正帰りて侍りしに、陳の外まで僧都見えず。法師どもを帰して求めさするに、「同じさまなる大衆多くて、え求め逢はず」と言ひて、いと久しくして出でたりしを、「あなわびし。それ、求めておはせよ」と言はれしに、帰り入りて、やがて具して出でぬ。

賢助僧正:醍醐寺の座主。
加持香水:真言密教で香水を定められた作法により清浄化し、それを注いで、煩悩やけがれを除く式。

「一、賢助僧正に伴って、加持香水を見ました時に、まだ式が終わらないうちに、僧正が私たちのところまで帰りましたのに、式場の外まで僧都の姿が見えない。法師たちを式場の方へ帰して求めさせるが、『同じような大勢の僧侶が沢山いるので、探し出して会うことができない。』と言って、大層長い時間が経ってから式場から出て来たので、僧正が『ああ困ったなあ。あなた、探していらっしゃい。』と私におっしゃったので、式場に引き返して行って、すぐに連れて出て来た。」

人混みの中ではぐれてしまった僧都を直ぐに探し出したという自慢話。加持香水は、大勢の人で混み合っていたのだろう。イベントに人が群がるのは昔も今も変わらない。人とはぐれてしまうことはよくある。そうなると、探し出すのは難しい。しかも、僧は皆似たような髪型や身なりをしているので、一層見分けがつきにくいことも想像に難くない。その中で、兼好が直ぐに当の僧都を見つけ出したのだから大したものだ。では、なぜそんなことができたのか。人は往々にして物事をぼんやりと眺めている傾向がある。他者への関心も希薄なことが多い。それに対して、兼好は諸事への関心が人一倍強く、他者のこともよく観察していたのだろう。それは『徒然草』の内容が多岐に渡っていることからもわかる。見習いたい態度である。

コメント

  1. すいわ より:

    姿形の似た人の中から一人を探し出すの、大変ですね。制服や体操服を着た中高生とかを思い浮かべると、その中から一人を見つけ出すの、大変そうです。
    確かに兼好、観察眼に優れていたのでしょう。背の高い人だったのではとも思いました。「ウォーリーを探せ」やってみてもらいたい。
    子供の頃、外出時、人混みの中を歩く時は親の靴を追っていたのを思い出しました。

    • 山川 信一 より:

      中高生に制服や運動着などのユニフォームを着せるのは、個性を無くすからでしょうね。日本の教育の目指すところがわかります。逆説的に、それでも失われない個性を育てるのだとも言えますが。
      兼好は画家のような目を持っていたのでしょう。「ウォーリーを探せ」も二枚の絵の間違い探しも画家には容易いそうです。
      背が高いと先までよく見えますね。ただ私は背が高いのですが、人の識別は苦手です。ぼーっと生きています。

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