《秋の広がり》

題しらす よみ人しらす

きりたちてかりそなくなるかたをかのあしたのはらはもみちしぬらむ (252)

霧立ちて雁ぞ鳴くなる片岡の朝の原は紅葉しぬらむ

片岡の朝の原:奈良県北葛城郡王寺町一帯の丘陵。生駒山の南裾、葛下川左岸に当たる。

「霧が立って雁が鳴く声が聞こえる。片岡の朝の原は紅葉してしまったのだろう。」

「霧ぞ」の「ぞ」は、係助詞で強調を表す。係り結びとして働き、文末を連体形にする。「なる」は推定の助動詞「なり」の連体形。ここで切れる。「紅葉しぬらむ」の「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形。「らむ」は現在推量の助動詞の終止形。
霧が立って辺り一面白く見える。その中で姿は見えないけれど、雁の鳴く声が聞こえてくる。雁があんなに鳴いているところからみると、きっと片岡の朝の原は、寒さが一層増し、紅葉してしまったのだろう。
作者は家の中にいて、霧の立つ屋外を眺めている。すると、どこからか雁の鳴き声が聞こえてくる。それによって、片岡の朝の原の紅葉を目に浮かべている。秋は、視覚から聴覚へ、そして、想像へと広がっていく。一首の中に秋の季語である「霧」「雁」「紅葉」が取り合わされている。季重なりを気にしていない。俳句との違いがここにある。季語を自由に使うことで、季節を重層的に描いている。また、「片岡の朝の原」という地名固有名を出して、実在感を出している。また、「朝の原」の地名であるけれど、「朝」という時間帯も感じさせ、秋の深まった朝の野原を想像させている。

コメント

  1. らん より:

    視覚、聴覚、想像と続く、深い歌ですね。雁は秋を告げる鳥なんですね。
    ああ、秋だー。
    今、こちらの世界も秋真っ盛りです。
    見渡せばたくさんの秋に囲まれています。
    忙しい日常の中でも、心にゆとりを持ってぼーっと秋を感じていたいです。

    • 山川 信一 より:

      和歌は現代人の忙しくゆとりのない日常に刺激を与え、大事な何かに気づかせてくれますね。
      言葉は、物の見方を教えてくれます。どんな秋が見えますか?

  2. すいわ より:

    「片岡の朝の原」は固有名詞なのですね。皆が同じものを思い描けることで、より共有が出来るのですね。
    霧によって静寂の中に包まれた朝、雁のひと鳴きで目覚める。まるで開幕ブザーが鳴って舞台の幕が上がるよう。
    姿の見えない雁の鳴き声がスイッチとなり、目の前の真っ白なスクリーンに彼方「片岡の朝の原」の彩り豊かな野が一瞬にして映し出される。場面の転換に圧倒されます。

    • 山川 信一 より:

      「片岡」は歌枕になっています。この固有名詞を出せば、あああそこかと誰しもがわかったのでしょう。
      「開幕ブザー」「真っ白なスクリーン」素敵な鑑賞です。

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