《堪能しきれない女郎花》

寛平御時、蔵人所のをのこともさかのに花見むとてまかりたりける時、かへるとてみな歌よみけるついてによめる  平さたふん

はなにあかてなにかへるらむをみなへしおほかるのへにねなましものを (238)

花に飽かでなに帰るらむ女郎花多かる野辺に寝なましものを

「宇多天皇の御代に、蔵人所に使えている下っ端役人たちが嵯峨野で花を見ようと言って退出した時、帰るということで皆歌を詠んだついでに詠んだ  平定(貞)文
花に堪能しないでなぜ帰ろうとしているのだろう。女郎花が多く咲いている野辺に寝てしまおうものを。」

「なに帰るらむ」の「らむ」は、現在推量の助動詞で原因理由の推量を表す。ここで切れる。以下は、倒置になっている。「寝なましものを」の「寝」は、下一段活用の動詞「ぬ」の未然形の「ね」。「まし」は、反実仮想の助動詞「まし」の連体形。「ものを」は、接続助詞で逆接を表す。
秋の花を見ようと嵯峨野にやって来た。期待通り嵯峨野には秋の花が咲き乱れている。中でも女郎花は一際多く咲いている。いくら見ても見飽きることがない。それなのに、日も暮れてきたから、そろそろ帰ろうと皆が言い出した。でも、まだ帰りたくない。いっそのこと、ここに宿を取ったらいいのにと思う。だって、女郎花がこれほど咲いているのだから。いい寝床になりそうではないか。
俳句に「花野」という季語がある。秋の草花が咲き乱れる野のことを言う。春の花見のように秋には花野に繰り出した。秋の野には、さまざまな草花が咲いている。しかし、その中でもやはり目に付くのは女郎花の花である。いくら見ても見飽きることがない。それなのに、日が暮れたからといって帰るのは、女郎花の魅力を堪能できず、まことに心残りである。その思いを歌にしたのである。
長く続いた女郎花の歌もこれで最後になる。女郎花の魅力を言い尽くすことができない、その残念な思いも重ねている。

コメント

  1. すいわ より:

    皆、本当ならまだ帰りたく無い、後ろ髪引かれる思いで花野を後にしなくてはならない。「え?なに、もう帰ってしまうのか?この花に包まれてこのまま横になりたいくらいなのに」春の桜は仰ぎ見るけれど、秋の女郎花はその身で分け入って花と一体になれる分、肌感覚の近さが尚一層離れ難くするのでしょう。夕暮れと行く秋が重なり季節を見送る寂しさも伝わってきます。

    • 山川 信一 より:

      なるほど、秋の草は触れることができますね。視覚や嗅覚だけではなく、触覚が刺激されます。それで一層離れがたくなるのですね。女郎花は、肌感覚でも味わう花なのでしょう。

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