第二百十六段  時頼の質素な暮らし

 最明寺入道、鶴岡の社参の次(ついで)に、足利左馬入道の許へ、先づ使を遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける様、一献にうち鮑、二献にえび、三献にかいもちひにてやみぬ。その座には亭主夫婦、隆弁(りうべん)僧正、あるじ方の人にて座せられけり。さて、「年毎に給はる足利の染物、心もとなく候」と申されければ、「用意し候」とて、色々の染物三十、前にて女房どもに小袖に調ぜさせて、後につかはされけり。その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。

足利左馬入道:足利義氏。母は、北条時政の娘。妻は、泰時の娘。時頼より三十八歳年上。
隆弁僧正:鶴岡八幡宮の第二十代の別当。
一献:盃を三度勧めること。そのたびごとに肴を替える。
小袖:袖が小さく、袖下を丸く縫った下着。

「最明寺入道が鶴岡八幡宮の参詣なさったついでに、足利左馬入道の元へ、まず使者をやって、立ち寄られた時に、ご馳走なさった様子は、一献にのし鮑、二献に蝦、三献に蕎麦掻きで終わってしまった。その座には、主人夫婦と隆弁僧正が主人側の人としてお座りになっていた。さて、時頼が『毎年戴いている足利の染物が待ち遠しくございます。』と申されたので、義氏が『用意してございます。』と言って、色々の染物三十反を、時頼の前で女房どもに小袖に仕立させて、後でお届けになった。その時見ていた人で、最近まで存命してございました人が、語りましたのです。」

これも時頼のエピソードである。時頼は幕府の要人であるから、相応の饗応も贈答も受けた。しかし、それにしてもこの程度のものであったことを伝えている。饗応は、あっさりしている。贈答は、時頼の方から要求しているように見えるけれど、これは毎年送られてきていたので、催促というよりは、お礼を兼ねた挨拶だろう。贈答にしても、下着なのである。時頼の質素な暮らしぶりが想像される。このように、当時は、幕府の要人といえど、万事に倹約と質素を旨としていたのである。兼好は、このエピソードによって、鎌倉末期の幕府の要人たちの贅沢三昧な暮らしを批判いている。

コメント

  1. すいわ より:

    使者を立て訪問を知らせているのだから、急拵えでこれだけしか揃わなかった、という膳ではありませんね。内容を見ると、しっかりおもてなしの二品とお食事。無駄に食べきれない程の量を供していないだけ。贈答品も相手が本当に必要としている物で、贅沢品ではない。上に立つ人がそうする事で立場が下の人はそれに倣って必要以上に分不相応な付き合いをしなくて済むようになります。相手を思う気持ちありき。もてなしや贈り物はお金をかければ良いというものではありませんね。今の政治家はこの話を読んでどう思うでしょう。

    • 山川 信一 より:

      今の日本は、何かがあると直ぐに不正に金が動くようです。東京オリンピックを巡る贈収賄は、政治家も絡んでいるのでしょうね。次のオリンピックをする資格などなさそうです。

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