題しらす よみ人しらす
なきわたるかりのなみたやおちつらむものおもふやとのはきのうへのつゆ (221)
鳴き渡る雁の涙や落ちつらむ物思ふ宿の萩の上の露
「鳴き渡る雁の涙が落ちたのだろうか。物思う宿の萩の上の露は。」
「涙や」の「や」は、係助詞で疑問を表す。係り結びとして働き、文末を連体形にする。「つ」は意志的な完了の助動詞「つ」の終止形。「らむ」は現在推量の助動詞「らむ」の連体形。ここで切れる。「物思ふ宿の萩の上の露」は、倒置になっている。「の」は、いずれも連体修飾を表している。「の」の繰り返しにより、対象を次第に絞っている。
我が家の上を雁が鳴きながら渡って行く。なんとも寂しげな鳴き声である。その声は、家の真上から降ってくるようだ。雁も自分と同じように物思いに耽っているのだろうか。ふと庭に目をやると、寒さのせいで、萩の葉の上に露が置いている。あれはきっと雁の落していった涙なのではないか。
上の句は、主語を欠いている。また、「涙や落ちつらむ」の「つ」に不自然さを感じる。「雁の涙」が意志を持って「萩の上」に落ちてきた感じがするからだ。これは、それによって、読み手の関心をそそるためだ。その上で、下の句によって、主語が「萩の上の露」であり、それが「雁の涙」であることを示す。
こうして、「雁」「涙」「物思ふ(我)」「宿」「萩」「露」の関係性が明らかになる。それらは天から地へと上下に直線的に繋がっている。つまり、作者と雁と萩とは、秋の寂しさにそれぞれ「物思い」「涙」「露」で反応し、寂しさによって繋がっていると言うのだ。
コメント
吊るし雛のような情景が頭の中に広がりました。ひと繋がりの、天から降り落ちてくる秋。雁の形のない鳴き(泣き)声が涙の粒になって萩の上に置く。物思いの詠み手は旅の空なのでしょうか、天から降り注ぐ秋の音を地上の萩の上に受け取る。宿にポツリと佇んでいる詠み手の姿がまた萩の上の露のようで、寂しさを感じさせます。
「宿」が旅の宿に感じられるのは、人生そのものが旅だからでしょう。「宿にポツリと佇んでいる詠み手の姿がまた萩の上の露のよう」、本当にそうですね。人の姿も自然の一部になっています。