東大寺の神輿、東寺の若宮より帰座の時、源氏の公卿まゐられけるに、この殿、大将にて、さきをおはれけるを、土御門相国、「社頭にて警蹕(けいひつ)いかが侍るべからん」と申されければ、「随身のふるまひは、兵仗の家が知る事に候」とばかり答へ給ひけり。
さて、後に仰せられけるは、「この相国、北山抄を見て、西宮の説をこそ知られざりけれ、眷属の悪鬼・悪神をおそるる故に、神社にて、ことにさきをおふべき理あり」とぞ仰せられける。
この殿:久我内大臣殿。源通基。
大将:近衛府の長官。
土御門相国:源定実太政大臣。通基と共に源氏の公卿としてここに来ていた。
警蹕:天皇の出御の際や天皇のもとに御膳を運ぶ時、また、貴人の通行の際などに「おお」「しし」「おそ」などと言いながら、先払いすること。
兵仗の家:随身の帯びる太刀・弓矢を兵仗と言う。兵仗を執って皇居守護に奉仕する武官の家。ここでは、通基のことを言う。
北山抄:藤原公任の著。朝廷に於ける儀式や故実について説いた書。
西宮の説:西宮記。源高明の著。朝廷に於ける儀式や故実について説いた書。公任より少し前の人。
「東大寺の神輿が東寺の若宮八幡宮から本来の御座所に帰る時、源氏の公卿が参上なさった時に、この殿が大将で、先払いの声をお掛けになったが、土御門相国が「神社の前で警蹕を唱えなさるのはいかがなものでございましょう。」と言われましたところ、「随身の作法は、武官の家が知ることでございます。」とだけお答えになった。
そうして、後におっしゃったことは、「この太政大臣は、北山抄を見て、西宮の説をご存じなかったのだ。しかし、神の一族の悪鬼や悪神を恐れるために、神社では、特に先を追わねばならない理由がある。」とおっしゃった。」
前段にある「尋常におはしましける時は、神妙にやん事なき人にておはしけり」の実例を挙げている。相国は、神社なのだから、神がいる。だから、先払いは要らないと考えた。しかし、通基は、神社にも神の一族の悪鬼や悪神もいる。殊更、先払いがいると考えた。その裏付けも心得ていた。身分は、通基より相国の方が上であったけれど、相国にも守護の仕事には、口を出させなかった。武官の家の者としての誇り高い姿を示している。このことで、対照的に前段の姿を際立てている。
コメント
実在人物の記述、源通基を慮り、敬意を払って出来る人であったことを付記したのでしょうか。仰る通り、同じ一人の人と思われないような姿の差が際立って、強い印象を残します。
当時としては長生きだった方なのでしょうか。超高齢化の現代、将来の自分、若しくは年老い、認知や身体に障害を負うようになった方にどう対峙するか、考えるきっかけになりました。
人は何を以て評価されるべきかを考えさせられますね。兼好が晩年にこだわるのはそのためでしょうか。彼はなるべき老醜をさらさないようにしたいと考えているようです。