《松虫と自分》

題しらす よみ人しらす

もみちはのちりてつもれるわかやとにたれをまつむしここらなくらむ (203)

紅葉葉の散りて積もれる我が宿に誰を松虫ここら鳴くらむ

「紅葉の葉が散って積もっている私の家に誰を待って松虫がこれほど頻りに鳴いているのだろう。」

「積もれる」の「る」は、存続の助動詞「り」の連体形。「松虫」には、「待つ」が掛かっている。「らむ」は、現在の事実の原因理由を表す助動詞。「誰か」の結びで連体形になっている。
我が家には、訪れる人もなく、紅葉の葉が散るに任せて降り積もっている。それなのに、どうして松虫は、誰かが来るのを待って、これほど頻りに鳴いているのだろう。どんなに鳴いたところで、来る人など期待できないのに。
誰かが来るのを待っているのは、松虫だけではない。当然作者も待っている。しかし、作者は既に諦めている。いくら待っても、来てくれることはあるまいと思っているからだ。ところが、そんな自分とは裏腹に松虫は、頻りに鳴いて誰かを待っている。その声を聞いていると、そんなことをしても無駄なのにと思えてくる。しかし、その一方で、自分も松虫のように諦めずに泣いていたら、愛しいあの人が来てくれるのではないかとも思い惑うのである。
秋はこんな風に、虫にまで思い入れが強まる季節である。

コメント

  1. すいわ より:

    募るばかりの心を表すように、散り積もる紅葉。それを見るにつけ、虚しさを感じずにいられない。諦めてしまえばどれほど楽だろう。それなのに、松虫はそんな私の心も知らないのか、頻りに鳴いてたれをか呼ぶ。そう、松虫は鳴いているだけ。でも、待ち侘び泣いている私の心が松虫を鳴かせているのかもしれない。
    散り積もる紅葉のカサカサと枯れた風情が、より深まる秋の肌寒さと終わった恋を思わせます。

    • 山川 信一 より:

      秋の情趣と失恋への思いが分かちがたく歌われています。ただ、この歌は秋の巻にあるので、秋が主役です。失恋はそれを表すための脇役。秋は、終わった恋への未練を松虫がいやが上にも掻きたてる、そんな季節なのです。

  2. らん より:

    紅葉の葉っぱがたくさん落ちているけど
    それを掃きもせず、散り積もっている荒れた家にいるのですね。家人が無気力で寂しそうに感じられました。
    そんなところで松虫が鳴いているのですね。はやくあの人来ないかなと。
    家人は絶望してるけれど、松虫には希望があっていいですね。

    • 山川 信一 より:

      そう思って聞いていると、松虫の音は疎ましくも思えてきますね。あるいは、それでも松虫に倣おうと思うのでしょうか。虫の音をどう聞くかは、こちらの心持ちによるようです。

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