第百八十七段  成功の心得

 よろづの道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能の非家の人にならぶ時、必ず勝る事は、たゆみなく慎みて軽々しくせぬと、ひとへに自由なるとの等しからぬなり。芸能・所作のみにあらず、大方のふるまひ・心づかひも、愚かにして慎めるは得の本なり。巧みにしてほしきままなるは、失の本なり。

「あらゆる道の専門家は、たとえ下手だと言っても、上手な素人に並ぶ時、必ず勝る事は、怠ることなく慎んで軽々しくしないのと、ひたすら勝手気ままであることが同じでないからである。芸能・仕事だけではなく、一般の振る舞い・心遣いも、未熟で慎んでいるのは成功の本である。巧みで好き勝手であるのは、失敗の本である。」

不器用で下手な専門家と器用で上手な素人を比較している。確かに、どんな分野でも、こういう専門家と素人がいる。そうした場合、往々にして専門家が非難され、素人がもてはやされる。期待度が違うからだろう。人情から言ってそれが自然だ。しかし、兼好はそれに異を唱えている。その基準は、成功・失敗にある。専門家は、慎重なので失敗しない。それに対して、素人は、その才能に頼り、勝って気ままに事を為そうとする。そのために失敗する。これは兼好の経験則なのだろう。前段の考えに繋がる。なるほど、成功・失敗を基準にすれば、一理ある。もちろん、成功するに越したことはない。しかし、成功・失敗にこだわり過ぎることで、行動が萎縮するケースもある。その結果、型にはまったものしか生み出せなかったりする。それに対して、素人の気楽さ・奔放さが常識の壁を超え、新しい境地を切り開くこともある。所謂、イノベーションを起こす。この面も忘れてはならない。

コメント

  1. すいわ より:

    プロは良い状態を常に保つ必要がありますね。素人は時によってばらつきがある。シェフの作る料理と家庭料理を比べると分かりやすい。不特定多数の人にその力量を発揮するのと、限られた顔の見える人相手にするのとではそもそもハードルが違うので単純比較は出来ません。いつでも同じ品質を保っているプロの味は変わらないから飽きる。その分、新しいものを生み出す努力を続ける必要がありますね。研鑽した蓄積が伝統になっていくのでしょうね。反対に家庭料理は相手の状態に合わせて変えることが出来るので受け手は「美味しいもの」をいつも口に出来る。失敗してもそのクレームに対して作った本人が「選手交代」を宣言できる(名乗る人はまず、いない)。
    本物の名人は失敗に学ぶ人、なのでしょう。

    • 山川 信一 より:

      「シェフの作る料理と家庭料理」の比較わかりやすいですね。プロであるシェフには、失敗が許されません。逆に言えば、失敗が許されないのがプロなのでしょう。ならば、プロは本物の名人になりにくいのかな?
      他の例では、大学教授と民間の好事家はどうでしょうか?大学教授にはいろいろと護るものがありそうで、大胆なことは言えません。この話は、別の角度からもいろいろと言えそうですね。

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