題しらす よみ人しらす
あきののにひとまつむしのこゑすなりわれかとゆきていさとふらはむ (202)
秋の野に人松虫の声すなり我かと行きていざ訪はむ
「秋の野に人を待つ松虫の声がするようだ。待っているのは私かと行ってさあ尋ねよう。」
「松虫」には、「待つ」が掛かっている。「なり」は聴覚による推定の助動詞の終止形。ここで切れる。「か」は疑問詠嘆の係助詞。係り結びとして働き、文末を連体形にする。「む」は意志の助動詞の連体形。
秋の野では頻りにコオロギが鳴いている。その声は誰かが来る事をひたすら待っているように聞こえる。待っているのは、人恋しくて堪らない私ではないかなあ。そんな気がしてならない。行って、さあそれを松虫に尋ねてみよう。
秋は、ただでさえ人恋しい季節である。恋人がいれば尚更である。そんな折、松虫の声を聞けば、いっそうその思いが掻きたてられる。それは、松虫に待っているのは自分ですかと尋ねたくなるほどだ。ここでは、人も虫も同等の関係にある。秋は、こんな空想が自然に浮かんでくる、心楽しい季節だと言う。
コメント
松虫は待つだけでなく呼んでいるのですね。ほの寂しさを声に出していたら寂しがり同士が呼び合って温め合えるのでしょうか。虫の鳴く音に誘われて逍遥する間に秋の夕も暮れていく。寄り添う人に巡り会えたら、秋の美しい長い夜に溶け込んで行けるのでしょう。
ロマンチストなら、松虫を訪ねるのは、共に秋を楽しむためになるでしょう。一方、リアリストなら、松虫を訪ねるのは、誰かに巡り会うための口実になります。どちらであるかは、読み手に任されているようです。