《秋の野の魅力》

題しらす よみ人しらす

あきののにみちもまとひぬまつむしのこゑするかたにやとやからまし (201)

秋の野に道も惑ひぬ松虫の声する方に宿や借らまし

「秋の野に道もわからなくなってしまった。人を待つ松虫の方に宿を借りようかしら。」

「も」は、類似する何かを暗示する。ここでは日が暮れたこと。「ぬ」は完了の助動詞の終止形。ここで切れる。「松虫」は、「待つ」が暗示されている。「や」は、疑問の係助詞で、係り結びとして働き、文末を連体形にする。「まし」は、反実仮想の助動詞の連体形。ここでは、迷いためらいの意を表す。
秋の野の散策は楽しい。心地よい風に吹かれ、草花を楽しみ、時間を忘れるほどだ。気が付けば、日が暮れて辺りは真っ暗になり、帰り道もわかなくなってしまった。すると、この私を待っているかのように松虫が鳴き始めた。ならば、松虫の鳴いて方に宿を借りようか、きっとこの夜を優雅に過ごせそうだ。
人をいざなう秋の野の魅力を詠んでいる。昼は、時を忘れるまでに散策を楽しむ。日が暮れて、帰り道がわからなくなれば、夜は野に宿って松虫の音を味わえばいい。「や・・・まし」と、迷いためらってはいるけれど、深刻なものではない。迷いやためらいさえも楽しんでいる気分が伝わってくる。

コメント

  1. すいわ より:

    良い季節になりそぞろ歩きを楽しんでいたのでしょう。虫も鳴き始める夕暮れ時になって、さて、ここはどの辺りだったろうか、せっかく出てきたのだから、どこぞへ止まって秋の夜を楽しもうか。松虫も鳴いて私を歓待してくれようから、、
    迷っていると言いながら(本当は帰り道だってわかっていて、まだ秋を楽しみたかったのかも)、全体にゆるりとした空気が流れています。暑さもすっかり遠のき、心にもゆとりが出来ているのでしょう。
    「あきののにみちもまとひぬ」これを「あきののにもみちまとひぬ」と読み違えてしまって、私も一瞬、別の意味で迷子になりました。心楽しい間違いをしました。

    • 山川 信一 より:

      「全体にゆるりとした空気が流れています」「心にもゆとりが出来ているのでしょう」に共感します。「宿や借らまし」は、ためらいや迷いを表していますが、「まし」は、元々反実仮想の助動詞です。本気でためらったり迷ったりしているのではありません。有り得ないことを承知で、それを楽しんでいる気分を表しています。
      「もみぢまどう」も、そんなことがありそうな感じですね。

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