題しらす よみ人しらす
ひとりぬるとこはくさはにあらねともあきくるよひはつゆけかりけり (188)
一人寝る床は草はにあらねども秋来る宵は露けかりけり
「一人寝る夜の床は草ではないけれど、秋が来る宵は露っぽいことだなあ。」
「露けかりけり」の「露けかり」は、形容詞「露けし」のカリ活用の連用形。「けり」は、それまで気が付かなかった事実に気が付いて詠嘆する意を表す。
待つ人が来ないので、一人で寝ている寂しい床は、草葉ではないけれど草葉みたいに、秋が来た夜には、あなたに飽きが来たみたいに思えて、私の涙で濡れてしっとりとしていることだなあ。
秋の夜、男を待つ女の思いを詠んでいる。秋はそれでなくても自然に物思いに耽ってしまう季節である。まして、待っている恋人が来ないとなると、いっそう悲しみが増す。寝床が涙で濡れてしまうほどであると言う。
そんな女の思いによって、秋という季節を表している。秋は、草に露が落ちて湿っぽくなるばかりではなく、寝床までも女の涙で濡れてしっとりする季節なのだ。つまり、恋する女を殊更悲しくさせる季節、それが秋なのである。
コメント
露に濡れる草葉、空気が冷え込んで来なければ露は結ばない。秋が深まって来ていることが分かります。一人寝の寂しさをまず出して来て、秋(飽き)の訪れと冷めた恋情を想像させ、体感、心情、両方に秋を実感させることに成功しているように思います。ただ濡れているというのでなく、白玉のような露が涙の粒を連想させます。
人事・心情をたとえるのに自然・季節を用いることはよくあります。たとえば、「今の気持ちは、まるで六月に真夏が来たような思いだ。」と言ったように。しかし、その逆に自然・季節をたとえるのに人事・心情を用いるのは一般的ではありません。けれども、それも効果的な表現法ですね。俳句で言う「取り合わせ」という技法もそれです。どちらが主でどちらが従というわけもなく、響き合っている、そんな表現が理想です。この歌で言えば、飽きられてしまい独り寝をする女の体感、心情が秋を実感させることに成功していますね。
秋の草むらは冷たそうですね。それと同じように涙で寝床も湿って冷たいのですね。それではますます寂しく悲しくなっちゃいます。秋は悲しい気持ちを助長しますね。
悲しさと寂しさは、兄弟みたいに似ていますね。逢いたい人と共寝することのない寂しさが悲しさに繋がります。寝床が草叢のように感じられるのでしょう。