題しらす よみ人しらす
やまふきはあやななさきそはなみむとうゑけむきみかこよひこなくに (123)
山吹はあやなな咲きそ花見むと植ゑけむ君が今宵来なくに
「山吹は筋が立たないことだわ。どうか咲かないでほしい。花を見ようと植えたであろうあなたが今夜来もしないのだから。」
「あやな」は形容詞「あやなし」の語幹である。現代語でも同様であるが、語幹だけを言うと詠嘆を表す。(「速!」「旨!」「安!」)ここで小さく切れる。「な咲きそ」の「な」は副詞で、終助詞「そ」と呼応して、懇願・禁止を表す。「どうか・・・てくれるな」の意。ここで大きく切れる。以下は、倒置になっていて、理由を述べている。「けむ」は、過去推量の助動詞。「見む」の「む」と対照的に使っている。このことで、この歌には、過去・現在・未来が揃う。「なくに」は、順接的な確定条件を表す。「ないのだから」の意。
詠み人知らずの歌であるけれど、「君が今宵来なくに」とあるから作者は女性である。山吹の花を見て、通ってこない夫への複雑な思いを詠んでいる。山吹の花は、人を思い出に誘う花なのだ。
まず、山吹に「筋が通らない」と嘆く。それは、次の理由による。あの人は山吹の花を見ようとして植えた。ならば、山吹が咲いたのだから当然見に来るはず。なのに来ない。これでは筋が通らないと言うのだ。しかし、この理屈はこじつけである。しかも、実は、夫が自分に逢いに来ないことへの八つ当たりである。これこそ「あやなき」女心である。
さらに、女は、山吹にこんな思いにさせるのだから、「いっそのこと、咲てくれるな。」と懇願する。咲けばあの人のことを思い出し、なぜ訪ねて来ないのかと苦しむことになるからだ。しかし、山吹は既に咲いているのだ。もはや言っても仕方ないことである。したがって、これも、「あやなき」女心である。しかし、この理不尽さこそが愛すべき女心の真の姿である。
コメント
「あの人がおまえの咲くのを見たくて植えたっていうのに、咲いても来ないじゃないの、じれったい。この気持ち、どうしてくれるの?咲いたおまえを私が見て、否応なしにあの人の事を思ってしまう。こんな事ならいっそ咲かなければ物思いに煩わされることも無いのに、、」可愛いですよね。でも、男がふとした事で思い出す対象として山吹を植えたのだとしたら、、本命ではないのかも。可哀想ですね。
そうなると「植ゑけむ」の「けむ」の過去推量が意味深長ですね。男は一体どんなつもりで植えたのでしょうか。女が推量しているのは、男の植えた行為そのものではなく、植えた思い(意図・つもり)なのでしょう。
「今宵来なくに」日暮れてしまったら山吹は宵闇に隠されてしまいますよね。それでも香りだけは微かに薫って来る。存在を消し切る事は出来ないのですね。
「今宵」→闇→香りという連想もありますね。私が考えたのは、「けむ」(過去)「今宵」(現在)「む」(未来)という時間の流れでした。