第百五段    逢瀬を覗き見る

 北の屋かげに消え残りたる雪の、いたう凍りたるに、さし寄せたる車の轅も、霜いたくきらめきて、有明の月さやかなれども、隈なくはあらぬに、人離れなる御堂の廊に、なみなみにはあらずと見ゆる男、女となげしに尻かけて、物語するさまこそ、何事にかあらん、尽きすまじけれ、かぶし・かたちなど、いとよしと見えて、えもいはぬ匂ひの、さとかをりたるこそ、をかしけれ、けはひなど、はつれはつれ聞えたるもゆかし。

かぶし:頭の格好。

「北の、家の陰に消え残っている雪が、ひどく凍っているところに、差し寄せてある牛車のながえも、霜がたいそうきらめいて、有明の月が明るく照らしているけれども、暗いところが無くは無い時分に、人気が無い仏堂の廊下に、普通の身分ではないと見える男が、女と下長押に腰掛けて、語り合う様子こそ、何事があるのだろうか、話が尽きそうもないが、女の頭の格好や容姿などが、たいそう美しく見えて、何とも言えないよい匂いが、さっと香っているのこそ、趣深いのだが、気配などがところどころ聞こえてくるのも心惹かれる。」

早春における早朝の男女の逢瀬が描かれている。兼好自身がまさにそれを見ているように現在形が使われ、視覚、聴覚、嗅覚に対応した表現によって、現実感や臨場感を出している。これも前段に続いて、平安趣味の文章である。前段が『源氏物語』を思わせるのに対して、この段は「をかし」「ゆかし」から、『枕草子』を思わせる。それとわかるように文体を真似して、遊んでいるのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    読点で区切られた文が一枚一枚のスナップ写真のようで情景が鮮明に伝わってきます。それぞれの素材のコラージュで一枚の絵が出来上がっているようです。消え残る雪、置く霜が有明の弱い月の光に照らされて静かに瞬いている。さざめく光のような2人の会話も辺りの清浄な空気と相まって、なんとも美しい景色になっています。凍てつく寒さなはずなのに、画面の明るさが匂い立つ春を感じさせます。

    • 山川 信一 より:

      兼好が「どうだ」と言わんばかりに、その表現力を見せつけるようと書いたのでしょう。この文章を書く目的を考えるとそうなります。
      確かに見事な文章ですね。すいわさんの感想が物語っています。

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