第八十三段   出世はほどほどに

 竹林院の入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はんに、なにの滞りかおはせんなれども、「めづらしげなし。一上(いちのかみ)にてやみなん」とて、出家し給ひにけり。洞院の左大臣殿、この事を甘心し給ひて、相国の望みおはせざりけり。「亢竜(こうりょう)の悔あり」とかやいふこと侍るなり。月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、さきのつまりたるは、破れに近き道なり。

一上:左大臣のこと。なお、「一の人」は、摂政・関白のこと。
相国:太政大臣の唐名。
亢竜の悔あり:富貴、栄華を極め尽くした者は必ず衰えること。「亢」は、登り極まること。

「竹林院の入道左大臣殿は、太政大臣に昇進なさろうとする時に、何の差し障りがおありなのか、そんなこともなかろうに、「賞賛するほど素晴らしくもない。左大臣でやめてしまおう。」と言って、出家してしまった。洞院の左大臣殿がこのことを感服なさって、太政大臣になろうとする望みはおありにならなかった。『亢竜の悔いがある』とか言うことがございますのです。月が満ちては欠け、物は盛んになって衰える。万事、先が詰まっているのは、破綻に近づいている道理である。」

前段の主旨の続きである。物事は突き詰めない方がいい。突き詰めるとその後に待っているのは破綻でしかないと言う。この段では、事実に基づいて、昇進もほどほどでやめることを勧める。
何事もある程度の余地や余裕を残しておく方がいいという考えには一理ある。いっぱいに入っている水はこぼれやすい。目一杯張った糸は切れやすい。不測の事態の備えて、遊びが有る方がいい。人生は出世のために有るわけでは無いのだから。
この話も地位や名誉に目が眩んでいる法師を対象に書いているのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    左大臣、能力あるけれど、仕事つまらなかったのでしょうね。出来ることとやりたい事が必ずしも一致するとは限らない。本来、位とかは後から付いてくるもので、それが目的になってしまうと仕事が疎かになる。仕事の意味が失われてしまいます。位が足枷になることもあるし、主体である自分に責任を持てるのが本人である以上、意思決定は何者にもとらわれることなく判断決定する必要があります。
    兼好の時代から変わることなく、いえ、現代はそれ以上にブランド志向は強くなり、個々の意思決定力は低下しているように思います。「法師化」して幸せになっている?ようには思えません。

    • 山川 信一 より:

      竹林院の入道左大臣には、それなりのご事情がお有りになったのでしょう。仕事が面白く感じられない、自分がしたいことが他にある、地位にこだわりが無い・・・などなど。
      兼好はそれを持論に上手く使いました。左大臣は出生より出家を優先したのだと、法師に説教したのです。いずれにせよ、何を尊ぶかがその人の価値を決めますね。

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