さくらのごととくちる物はなしと人のいひけれはよめる 貫之
さくらはなとくちりぬともおもほえすひとのこころそかせもふきあへぬ (83)
桜花疾く散りぬとも思ほえず人の心ぞ風も吹き敢へぬ
「桜のように早く散るものは無いと人が言ったので詠んだ 貫之
桜の花が早く散ってしまうとも思えない。人の心こそが風さえも間に合うように吹ききれない。風が吹く前に散ってしまう。それほど早く心は変わってしまう。」
桜が直ぐに散ってしまうことを嘆く人がいる。その言葉を聞いていると、桜を非難しているようだ。そこで、反論する。なるほど、桜は早く散る。しかし、それが最も早いかと言えばそんなことはない。もっと早いものがある。それは人の心だ。風も吹くのが間に合わないほど早く変わってしまうのだから。その証拠にあなたの心も、あれ程桜を愛でたのに、今ではすっかり桜から離れているではないか。それに比べたら、桜は律儀なものだ。風が吹くまでは散らないのだから。
これには反論のしようがない。自分には桜を非難する資格が無いと悟らざるを得ない。邪念は排され、散る桜と向き合うことができる。
コメント
あんなにも桜を愛で心乱されていたのに、散るとなったら文句をつける。さながら心変わりした女に恨み言を当てつけに言っているように。言っている本人は気付かない。
まぁ、そう言いなさんな、去りゆくのは桜ばかりではない。むしろ良かった時をすぐ忘れて掌返しで冷たい事を言うヒトの方こそ自分から風(評)を起こしてまで心変わりしていくではないか。さあ、そんな恨み言を言っている間にも桜は散り行く、最後のひとひらまで花を惜しもうではないか、、こんな感じなのでしょうか。梅に続いて桜も、なんという愛されようでしょう。他の花でここまで皆が注視するものはないのでは。
いい鑑賞ですね。貫之の心が伝わって来ます。恨み言を言うより桜を最後まで味わうことが大事ですね。
梅にしても桜にしても愛されていることは確かですが、『古今和歌集』は、題材を絞ることで表現の粋を極めることを目指しているのでしょう。
他を題材にしても応用が利くように。