題しらす よみ人しらす
うつせみのよにもにたるかはなさくらさくとみしまにかつちりにけり (73)
空蝉の世にも似たるか花桜咲くと見し間にかつ散りにけり
空蝉の:「世」に掛かる枕詞。「空蝉」は、この世の人。現に肉体を持っている人間。
似たるか:「か」は、詠嘆の終助詞で、「・・・だなあ」。「も」を受けることが多い。
花桜:花の咲いている桜。「桜花」は、桜の花びらに焦点が当たっている。
「儚いこの世にも似ていることだなあ。花の咲いている桜は、咲くと見た時間に一方ではそばから散ってしまうのだったよ。」
桜の開花時間の短さを嘆いている。それを慰めるのに、人の世の儚さを例にとっている。人の世だって儚いのだ。ならば、桜が儚くても仕方ないではないかと。これほど、大げさなたとえを持ち出さねばならないほど、嘆きが激しいことを表している。
逆に、あれ程美しい桜の花があっという間に散ってしまうのだから、人の世が儚いのも仕方ないではないかとも読める。こうした歌から人の世と桜花が通い合うようになったのだろう。
コメント
空蝉というと夏をイメージしてしまいますが、当時の人は「人の世」ととらえているのですね。栄華を誇っても忽ち消え去る無常、「平家物語」の冒頭を思い浮かべてしまいました。
満開の桜、一陣の風に花びらが舞い上がる瞬間を見たような思いです。
「満開の桜、一陣の風に花びらが舞い上がる瞬間」そうですね。この歌は本来桜のその様子を捉えた歌です。それが本旨です。
無常観はそれを想像させるための脇役です。
自分の人生に桜を重ねてしまいました。私も若くて美しい時期はあったのに。今はなあ、、、散ってます。。。
桜はどんな時でも人の心に刺激を与えます。散ってもそれなりの美しさをみせます。だから、あなたも美しいと思います。