御室に、いみじき児のありけるを、いかでさそひ出して遊ばんとたくむ法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子やうのもの、ねんごろに営み出でて、箱風情の物にしたため入れて、双の岡の便よき所に埋みおきて、紅葉散らしかけなど、思ひよらぬさまして、御所へ参りて、児をそそのかし出でにけり。うれしと思ひて、ここかしこ遊びめぐりて、ありつる苔のむしろに並みゐて、「いたうこそこうじにたれ」、「あはれ紅葉をたかん人もがな」、「験あらん僧達、祈り試みられよ」など言ひしろひて、埋みつる木のもとに向きて、数珠おしすり、印ことごとしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされどもなかりけり。埋みけるを人の見おきて、御所へまゐりたる間に盗めるなりけり。法師ども、言の葉なくて、聞きにくくいさかひ、腹立ちて帰りにけり。あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。
御室:仁和寺のこと。法親王が住んでいたので、仁和寺をこう言う。
あそび法師:歌舞音曲が専門の法師。
かたらひて:説いて仲間に入れて。
双の岡:仁和寺の南にあった三つの岡。
言ひしろひて:「しろふ」は、互いに・・・しあう。
いらなく:みっともなさが特に甚だしく。
「仁和寺にとてもかわいい稚児があったのを、何とか誘い出して遊ぼうと企む法師たちがあって、芸能達者なあそび法師たちなどを仲間に入れて、洒落た割籠のようなものを念入りにこしらえて、箱のようなものに整えて入れて、双の岡の都合のいい所に埋めておいて、紅葉の落葉を散らしかけるなど、誰にも気づかれないようにして、仁和寺に帰って、稚児を誘い出してしまった。上手くいったとよろこんで、あちこち遊び回って、仕掛けておいた苔の一面敷きつめた所に並んで座って、「ひどく疲れてしまった。」「ああ、紅葉を焚いてくれる人もいないかなあ。」「霊験ある僧たち、試しに祈ってごらんよ。」など言い合って、埋めておいた木のもとに向いて、数珠を押し揉んで、印を仰々しく結びこしらえなどして、みっともないほどに振る舞って、木の葉を掻き退けたが、いっこうに物も見えない。場所が間違っているのかと思って、掘らぬ場所も無いほど、山を探し回ったけれどどこにも無かった。埋めたのを人が見ておいて、法師たちが仁和寺に戻っている間に盗んだのだった。法師たちは、稚児に何とも言いようが無くて、聞くに堪えないほど言い争って、腹を立てて帰ってしまった。極端に面白くしようとすることは、物事をかならずつまらなくするものなのである。」
これも、前段と同様の失敗談である。稚児は、坊主たちのアイドルのような存在だった。そのため、何とか稚児の気を惹こうと、手間暇掛けてあれこれ画策した。当時の法師の有り様がよくわかる。
第五十二段、第五十三段、第五十四段は、いずれも法師の失敗談ではあるが、それぞれ趣旨が違う。第五十二段は、個人の失敗談である。これは、その人が恥をかくだけで済む。その愚かしさを笑っていられる。個人一人の行動は、大したことにならないのである。ところが、第五十三段は、悲惨なことになった。それは、集団の中の個人の行動だからである。人は集団の中だと、かえって羽目を外しやすい。人と一緒だと、気が大きくなったり緩んだりするからだろう。自分が属している小さな集団にしか目が行かず、周りが見えなくなる。時に一人で突っ走り、とんでもないことをしでかしてしまう。集団の中の個人こそ、危険なのだ。恐ろしいことをしでかす。第五十二段と第五十三段を並べることで、それを際立てている。一方。第五十四段も集団での行動だが、ここで言いたいのは、集団行動がその集団の持つ愚かしさを暴露してしまうということだ。これは言い逃れようがない。その結果、この話から当時の法師のレベルがわかってしまう。兼好は、法師の実態を伝えたかったのだろう。
コメント
ここまで来ると「法師」とは?と問いたくなるほど、本来の目的を逸脱し、むしろ正反対の行いをする集団になっています。仏の道どころか欲まみれ俗まみれですね。浮かれて仕込んでサプライズ失敗、罵り合う。兼好が告発したくなるのもわかります。その事例が三つ以上を数えると、人はそれを真実として受け止めていきがち。読み手集団に対して兼好も自分の狙いを投げ掛けたのでしょうか。
兼好は、この時代の仏道の停滞、法師の堕落によほど腹を据えかねていたのでしょう。徹底的に批判します。ここはその話が三つ続きましたが、堕落した法師の話はまだまだ出て来ます。
法師は、食いっぱぐれがないように仏道に帰依したふりをして、有力な寺を根城にした俗物集団だったようです。「法師」の名が実態を隠しています。
兼好自身も自らを「法師」と言ったのであれば、自分を卑下していたからでしょう。あるいは、そのポーズをとったからでしょう。
単独行動で石清水に行った法師なんかまだいいほうですよね。だれにも迷惑かけてないですし。
やはり集団の中だと気持ちが大きくなって取り返しのつかないことをしてしまう可能性が大きいなと感じました。
自分にもそうなってしまう可能性があるかもと思うと怖くなります。
単独行動の過ちは大事にはなりにくいものです。その人が恥をかいて、笑い話で済みます。ところが、集団の中の個人は、非常に危険な存在です。
よく学校では集団行動の大切さを教えますが、時に集団行動は無責任さを生み出します。むしろ、一人だけで出来ないことはするなと教えた方がいいかも知れません。