因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、ただ栗をのみ食ひて、更に米のたぐひを食はざりければ、「かかる異様のもの、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。
「因幡国に住む、何とか入道とか言う者の娘、器量がいいと伝え聞いて、多くの男が求婚し続けたけれど、この娘、ただ栗だけを食べて、少しも米の類いを食べなかったので、『このような変わり者は、人と結婚させる訳にはいかない。』と言って、親は許さなかった。」
兼好は、こういうエピソードを書くのが上手い。ただし、話題ががらっと変わり、前段との関連性がよくわからない。前段では、不自然さを否定していたので、栗しか食べない娘を不自然だから悪いと言うのだろうか。ならば、兼好は、この親の態度を支持していることになる。しかし、栗しか食べないことはその娘の自然であり、むしろ、それを理由に結婚させない親こそ、人情の自然に逆らっているとも言える。ならば、この親を批判していることになる。兼好がどちらの意図を持って書いているのかはっきりしない。兼好は、こういう意図をわざとぼかす文章を書く傾向がある。
しかし、多様性を積極的に認める現代の考え方からすれば、この親は非難されるべきである。
コメント
話の内容が唐突に変わって驚きました。変わり者の娘、こんな娘を世間に出せないとする親。出せないのではなく出したくないのでは?美貌の娘に結婚を申し込む男たちの値踏みでもしているのではないかと思いました。栗しか食べないというのも演出のような気がします。
問題は、この話を紹介する兼好の意図です。何が言いたいのでしょう。ここでも、自らの考えは出しません。
しかし、いずれにせよ、不自然なものを排斥しようという考えであることには変わりありません。その意味で兼好に同意することはできません。