第三十一段  無風流をなじる人

 雪のおもしろう降りたりし朝、人のがり言ふべき事ありて、文をやるとて、雪のことなにとも言はざりし返事に、「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。かえすがえす口をしき御心なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか、今は亡き人なれば、かばかりの事もわすれがたし。

人のがり:人の許に。人の所に。
ひがひがしからん:ねじけ、歪んでいるような。まともでないような。ひねくれているような。「ん」は、婉曲を表す助動詞「む」。
かは:反語を表す終助詞。

「雪がはっと目を引くほど趣深く降った朝、人のもとに言わねばならない用事があって、手紙をやることになって、用事だけで雪のことを何とも言わなかった、その返事に、「私がこの雪をどのように見るかと、ひとふでお書きにならないほどの、ひねくれているような人がおっしゃること、聞き入れるべきだろうか。とんでもない。聞き入れる訳にはいかない。よくよく残念なお心である。」と言っていたことこそ、心惹かれたが、今は故人なので、これほどちょっとした事も忘れ難い。」

教科書に取り上げられることが多い段である。手紙を送った相手の、こちらの無風流をなじる言葉がそのひと人柄をよく伝えている。この人の不機嫌さがよく伝わってくる。兼好もうっかりしたのだろう。しかし、なじられたことをそれほど深刻に受け止めている様子は無い。むしろ、「こう言うこだわりはいいなあ。あの人らしいなあ。」といった余裕が感じられる。
兼好の文章構成が巧みである。まず、エピソードを語る時、必要最低限のことしか言わない。用事の内容は言わない。相手が男か女かも言わない。それでいて、読み手に共感を抱かせる。そして、最後にその人が亡くなっていることを言う。この展開が見事である。
死がその人を忘れられなくすることもある。死によって、その人がその人らしいエピソードと共に確かに記憶されるからである。死によって、ただただ忘れるばかりではないのだ。
説得力のある文章である。とは言え、このエピソードはややできすぎの感がある。あまりにいかにもという感じがする。結論有りきで、後から作られたものだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    親しい間柄だからこそのやり取りですね。雪の朝、その様子に心動かされた兼好。こんな朝に彼が何も感じないわけがない、忙しさにかまけて愛想がないね、と返す返信者。返信を受け取って面目ない、と頭をかいている様子が思い浮かびました。
    特別なものでなく、ささやかな日常の出来事が近しい関係であればこそ愛おしい、忘れ難い記憶となります。断ち切られるのでなく、むしろ永遠となる。
    話の持って行き方が絶妙、誰もが自分のストーリーをこの型に入れ込むことが出来る。先生の仰る通り、フィクションなのでしょうね。大切な思い出、公開しないでしょうから。

    • 山川 信一 より:

      兼好は、誰もが経験するであろう話を書くのが上手いですね。典型的・普遍的な線を狙います。なるほど、こう書けば誰も反発しないでしょう。
      その意味では、文章のお手本にもなります。しかし、私はひねくれ者なのか、そこが物足りません。

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