かりのこゑをききてこしへまかりにける人を思ひてよめる 凡河内みつね
はるくれはかりかへるなりしらくものみちゆきふりにことやつてまし (30)
春来れば雁帰るなり白雲の道行き触りに言や伝てまし
こし:越。越前・越後を言う。
まかり:地方に行くことを言う。
なり:推定の助動詞。主に聴覚による。「めり」が視覚によるのと対照的。
道行き触り:道ですれ違うこと。道中の出会い。
や:疑問の係助詞。
まし:反実仮想の助動詞。もし・・・なら・・・だろう。
「北国に帰る雁の声を聞いて、越に行ってしまった人を思って詠んだ・・・ 凡河内躬恒
春が来るので、雁が北国に帰るようだ、白雲の道を通って。その道がもし地上の道だったら、道の出会いに越の友への伝言をするだろうかなあ。」
春は雁が北国に帰る季節でもある。その声を聞くと、別れの寂しさを感じる。すると、それが呼び水となり、雁が向かう越に行ってしまった友のことが思い出される。元気にしているだろうか。手紙を送ろうか、そんな思いになる。ならば、いっそのことあの雁に言付けようではないか。ただ、雁は高い高い白雲の道を行く。もし雁が地上に道を行くのなら、それができるになあと思う。春は、別れを強く意識する季節でもあるのだ。
日本で卒業式が三月にあるのは、この情緒に合っている。九月入学が実現しない理由の一つは、情緒が合理性に勝っているからだろう。
コメント
雁というと秋のイメージが強いですが、春の季節に敢えて雁を持ってくることで離れた地へ行ってしまった友への愁いの気持ちも伝わります。そして時が巡れば雁は戻ってくる。友の無事の帰還も願っているようにも思えます。
雁は春では別れの悲しみを代表しています。やっと心地よい春が着たのに、なぜ雁は帰るのだろう。そんな矛盾する姿が心を捉えるのでしょう。
春は別れの季節ですね。
確かに。雁が帰ることで春の訪れる喜びを感じるのだけれど、雁に居て欲しいなあと矛盾した気持ちになります。
春が来ることって嬉しいけれど、寂しいですね。
春の表情を多面的に捉えた歌ですね。春は別れと始まりが同居しています。