ゆきのふりけるをよめる きのつらゆき
かすみたちこのめもはるのゆきふれははななきさともはなそちりける (9)
霞立ち木の芽もはるの雪降れば花無き里も花ぞ散りける
「霞が立ち木の芽も張る春。その春に雪が降るので、まだ花の咲かない里も花が散るのだなあ。」
季節は行きつ戻りつしながら進む。それはわかっているのだが、春めいてくると、このまま一気に春になってほしいと願うのも人情である。
作者はそんな思いから春を味わおうと郊外に来ていたのだろう。里は、霞が立ち、木の芽も張ってきて、すっかり春めいてきた。ところが、その思いを裏切るようにまた雪が降ってきたのだ。しかし、これでがっかりしてはいけない。春に雪が降るからこそ、まだ花が咲かない里も花が散っているように見えるではないか。冬の雪ではこうはいかない。もしそう見えなければ、そう見ようではないか。これが春の雪の楽しみ方である。
コメント
木の芽が「張る」と「春」が掛かっているのですね。春への期待が木の芽の膨らみと呼応します。春先の雪、牡丹雪でしょうか。雪のひとひらひとひらが天から地上に舞い降りる。春の先ぶれのように降り散る雪の花。「花ぞ散りける」の印象が強くて雪の冷たさを感じさせません。
「はる」は、張ると春の掛詞です。三十一文字という限られた音数の中で仮名文字の特性を生かした工夫です。ちなみに、仮名文字のシステムでは、清濁を書き分けません。同じ仮名でも、平仮名のシステムとはそこが違います。
春の雪は、季節が戻ったわけではありません。そこに確かな春の兆しが感じられますね。
三寒四温ですね。
春雪は春の兆しが感じられますね。風流だなあと思いました。
春の雪には、それなりの味わい方がありますね。
「春なのに!」と、嘆くばかりがのうではありませんね。