第六段 子を持つな

わが身のやんごとなからんにも、まして数ならざらんにも、子といふ物無くてありなん。
前中書王(さきのちゅうしょおう)・九条太政大臣(くじょうのだじょうだいじん)・花園左大臣(はなぞののさだいじん)、みな族(ぞう)絶えん事をねがひ給へり。染殿大臣(そめどののおとど)も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるはわろき事なり」とぞ、世継の翁の物語にはいへる。聖徳太子の、御墓をかねて築(つ)かせ給ひける時も、「ここを切れ、かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

やんごとなからん:高貴であるような(身分)。「ん」は、仮定・婉曲を意味する助動詞「む」の連体形。
数ならざらん:取るに足らないような(身分)。
ありなん:ありたい。「な」は強意の助動詞「む」の未然形。「ん」は意志の助動詞「む」の終止形。
前中書王:後醍醐天皇の御子中務卿兼明親王。
九条太政大臣:藤原伊通。
花園左大臣:源有仁。三条天皇の孫。
染殿大臣:藤原良房。
末のおくれ給へる:子孫が劣っていらっしゃる。
世継の翁の物語:歴史物語の『大鏡』。
かねて:生前。

「我が身が仮に高貴な身分の場合でも、まして取るに足らない身分の場合であっても、子というものは無くてありたいものだ。前中書王・九条太政大臣・花園左大臣は、皆、一族が絶えることを願っていらっしゃった。染殿大臣も「子孫はいらっしゃらない方がよろしゅうございます。子孫が劣っていらっしゃるのは悪いことである」と、世継ぎの物語では言っている。聖徳太子がご自身のお墓を生前に築かせなさった時も、「ここを切れ、あそこを断て。自分は子孫がないようにしようと思うのだ」と仰せ事がございましたということだ。」

この段は、前段以上に人情と懸け離れたことを言っている。子孫繁栄は、人間本来の感情であろう。まして、子孫を作ることは、動物の本能でさえある。それを否定しているからだ。ただし、不思議なことに、これは現代の少子化の傾向を肯定するものになっている。兼好法師に言わせれば、少子化は望ましい傾向ということになる。しかし、兼好法師は、現代の状況を知ったら、それでも同じことを言うのだろうか。ひねくれ者なので、違うことを言うような気もする。
と言うのも、兼好法師の主張には、根拠が示されていないからである。主張の理由付けがない。例によって、権威に頼っているだけである。偉い人も私と同じことを言っているのだから、私の主張は正しいのだと言うのだ。これでは、直ちに共感することは難しい。
理由づけは読者任せにする。これでは、反論のしようがない。「心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつく」ったものなので、と言うのがその言い分なのだろう。これは、反論封じにもなっているようだ。
だからと言って、こちらがその理由を考える筋合いはない。とは言え、癪に障るが、敢えてこの理由を考えてみる。親はなぜ子を育てようとするのか。子孫をつくることは動物の本能ではある。それに従うことは、良い悪いの問題ではない。しかし、人間にはそれを超えた欲望が働いているかも知れない。後の世までも自分を生かそうという欲望である。そのため、子を自分のクローンにしようと企む。世にはこの手の「毒親」が溢れている。もしそのために子を作るなら、止めた方がいい。ただし、兼好法師がどう考えていたのかは不明である。

コメント

  1. すいわ より:

    子を成さない方が良い、と。自分よりも子孫の劣る事があるといけない、と。劣るとは限りませんよね。自分の存在の絶対性をそこまで信じられる事がそもそも相容れないのですが、百歩譲って、親子であれば親が先にこの世を去るのは自然の理で自分の子の面倒を最後まで見届ける事は出来ず、責任を負えないからという事なのか?
    自分の意思の及ばない、(文字通り)自分の分身の存在は認められない、という事なのか?
    親子の関係性も今の時代とは違うのかもしれませんが、家の属性で子供の人生を親の人生とひと繋ぎに括って親のものにしてしまうのなら、むしろ子供の側から「いらない」と言われそう。
    親の富なり地位なりを引き継がねばならない、という義務に束縛され苦悩する人もいれば、何の努力もせず親のそれらの上にあぐらをかいて、さも自分が偉いんだと思い込む人もいると思うと、なるほど「親子」という関係は一筋縄ではいかないのも確かです。

    • 山川 信一 より:

      兼好法師の考えが書いていないので、何とも言いようがありません、ただこう言われると、その理由をあれこれこっちで考えざるを得ませんよね。それが狙いなのでしょうか。
      「あなた方は無批判に子を持つことをいいと思っているようだけど、どうでしょうかね。偉い人はみんな否定していますよ。その意味をまともに考えたことがあるんですか?「そういうことになっているから」では理由になりません。常識は疑って掛からなければなりません。」とでも言いたいのでしょう。
      なるほど、子を自分の所有物だと思っている親がいるのは、教師をしているとよくわかります。いい親であるのは難しいですね。

  2. らん より:

    理由がわからないので何とも言えないのですが。
    常識は疑ってかからないとと、そういうことですね。

    • 山川 信一 より:

      兼好法師の主張は、根拠が上がっていないので、反論はしにくいのですが、考えさせられるないようではありますね。
      常識を疑え、確かにそうですね。

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