はるたちける日よめる 紀貫之
そてひちてむすひしみつのこほれるをはるたつけふのかせやとくらむ (2)
袖漬ちてむすびし水の凍れるを春立つ今日の風やとくらむ
「春が立った日に詠んだ
夏の暑い日に袖を濡らし掬って喉を潤した水が凍っていたのを立春の今日の暖かな風が今頃溶かしているのだろうか」
(むすび)し:経験を表す助動詞「き」の連体形
こほれる:凍っているの意。「こほり+あり」が一語化した形。ここはその連体形。
(とく)らむ:現在推量の助動詞「らむ」の連体形。疑問の係助詞「や」の結びになっている。いわゆる係り結び。
「むすび」は水を掬うという意味だが、結ぶも暗示している。それによって、「とく」が溶かすとほどくの意味を兼ねることになる。
この歌は立春の日の思いを詠んでいる。待ち望んでいた春がようやくやって来た。今日からは春である。その時に何を思うか。春は一年の始まりの季節である。その時、一年の四季がさっと頭をよぎる。暑い夏の日、森の泉で袖を濡らして水を飲んだ。やがて秋が来て、泉の水には紅葉が落ちる。そして、寒い冬がやって来る。すべてを凍らせる冬だ。泉の水もすっかり凍ってしまった。しかし、立春の今日の暖かな風がその氷を今頃溶かしているに違いない。また一年が始まるのだ。何とも明るく晴れ晴れとした思いになる。我々は立春の日にこんなことを思うのではないか。こうした「人の一つの心」を詠んでいる。それがこの歌である。濡れる・凍る(冷たい)・風と触覚に関わる言葉で構成し、極力他の感覚に訴える言葉を排しているところに工夫がある。
コメント
「みつのこほれるを」を「水の溢れるを」と読んでしまって風は何をとくのだろう?と思ってしまいました。「凍る」で納得。まずは風を感じたのでしょう、風に誘われて意識は野を渡ってここから離れた泉へ。一気に視界が広がり気持ちも解放されます。ただ凍ったものが溶ける、でなく「むすひしみつ」、水を掬う、水に手を浸す動作を加える事で季節のひと巡りを表現しているところが凄い。目の前の氷の溶ける様子を描写するのでなく思いを馳せるところがまた、これから漸く春が近づき満ちてくることを思わせます。
時間的空間的な広がりを感じさせる歌ですね。春は閉じこもっていた気持ちが開放される季節でもあります。それで、あの夏の出来事を思い出したのでしょう。
この歌を詠んで、なんだか懐かしい気持ちになりました。
夏を思い出しました。
少年時代の歌じゃないけど、夏は思いがたくさんあります。
夏に袖を濡らし、秋がきて冬がきて新しい春がきて。
いい歌ですね。
この歌も誰の心にもある思い、けれども、言われてみて始めて自覚できる思いを表しています。だから、共感できるのです。
立春と言っても、その日から急に春が来るわけではありません。むしろ、気候は冬そのものでしょう。だから、それと対照的な夏の日が思い出されるのです。