をののこまちは、いにしへのそとほりひめの流なり。あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よきをうなの、なやめる所あるににたり。つよからぬは、をうなのうたなればなるべし。
「小野小町は、古の衣通姫の流れを酌む。あわれを感じさせるようであって、強くない。言わば、いい女の、悩んでいるところがあるのに似ている。表現に強さがないのは、女の歌であるからだろう。」
たとえば、次の歌がある。
思ひつつ寝ればや人の見えつらん夢と知りせば覚めざらましを
「なかなか逢えないあの人のことを思いながら寝たので、夢の中で逢えていたのだろうか。きっとそうだわ。夢とわかっていたなら、目覚めなかったのになあ。」
当時は相手が自分のことを思っていると夢に現れると信じられていたと言う。もしそれが常識ならば、この歌はその常識を逆転している。女が自分を主体にして物事を考えているのだ。そこにこの歌の新鮮さがある。その意味で、表現そのものからは強さが感じられないかもしれないが、内容からは女の強さが感じられる。
おほとものくろぬしは、そのさま、いやし。いはば、たきぎおへる山人の、花のかげにやすめるがごとし。
「大友黒主は、歌の様に品がない。言わば、薪を背追った山人が花影に休んでいるような感じだ。」
たとえば、次の歌がある。
思ひ出でて恋しき時は初雁の鳴きて渡ると人は知らずや
「(忍び逢いでようやく逢ったけれど、今は逢うのが難しい)人を思い出して恋しい時は、(その人の家の辺りをうろついて)初雁が鳴いて空を渡るように、私は泣いて傍を通っています。それをあなたはご存じかしら、ご存じではないでしょう。」
なるほど、「初雁の鳴きて」という題材はいいのだが、たとえ方が良くない。恋しい人の家の辺りをうろついて、泣き声を上げるなど内容に品が感じられない。
このほかの人々、その名きこゆる、野辺におふるかづらの、はひひろごり、はやしにしげきこのはのごとくにおほかれど、うたとのみ思ひて、そのさましらぬなるべし。
「この他の人々、その名が世に知られる者は、野に生える蔓草のようにいっぱいに広がり、林に沢山ある木の葉のように多いけれど、どんなものでも歌だと思って、歌の本当の様は知らないだろう。」
六歌仙と呼ばれるほどの人さえこのレベルのだから、ましてその他の歌人は知れたものであると言うのだろう。こうして論を進め、『古今和歌集』が編まれる訳に結びつけていくのである。
コメント
名の知れた人でもこのレベル、という事は漢詩に劣ることのない「和歌」はまだまだ洗練されていく余地を残している、とも取れます。至高の「和歌」を目指して。
歌は詠むもの、そしてそれを味わい心を交わす。貫之は和歌を論じているのですよね?学校の授業の範囲で触れられる古典作品は物語、随筆等、たかが知れていますが、それにしても、和歌を「論じる」という事がそれまでなされて来たのか?とふと思いました。
漢詩が漢字の特性を生かしたものならば、和歌は仮名の特性を生かしたものにすべきだと考えていたようです。つまり、清濁を書き分けない仮名文字のシステムをフル活用しようとしました。
したがって、この時代の和歌は、聴覚的というよりも視覚的な表現なのです。そのため、漢平安時代の末期にはよくわからなくなっていたようです。
学校の授業では、『無名抄』(鴨長明)を扱ことがあります。