いまといにしえ

今の世中、いろにつき、人のこころ、花になりにけるより、あだなるうた、はかなきことのみいでくれば、いろごのみのいへに、むもれ木の人しれぬこととなりて、まめなるところには、花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり。

花すすき:「穂に出づ」を引き出す。
ほにいだす:外に現れ出る。人目に付くようになる。

「今の世の中、生活が派手になり、それに伴い、人の心は、浮ついてきて、実のない歌、その場限りの歌ばかり出て来るので、まともな歌は、風流を解する人の家に、埋もれ木のように人知れぬこととなって、真面目な場面には、外に現れるはずもなくなってしまった。」
世の軽薄を嘆いている。これは、いつの世でも変わらぬ姿である。平安時代でもそうだったのかと思えば、おかしくなる。世の中が浮ついて来るに従って、歌もダメになってきたと嘆くのだ。

そのはじめをおもへば、かかるべくなむあらぬ。いにしへの世々のみかど、春の花のあした、秋の月の夜ごとに、さぶらふ人々をめして、ことにつけつつ、うたをたてまつらしめたまふ。あるは、花をそふとて、たよりなき所にまどひ、あるは、月をおもふとて、しるべなきやみにたどれる心々を見給て、さかし、をろかなりとしろしめしけむ。

「歌の始まりを思えば、このようであっただろうか、ありはしない。」と、次に歴史に目を転じる。
「古の帝は、春の花が咲く朝、秋の月の夜ごとに、お仕えする人を集めて、何かにこと寄せながら、歌を奉らせなさった。ある場合には、花に寄り添うといって、当てにならないところをさまよい、ある場合には、月を思うといって、道しるべのない闇を訪ね探す、人それぞれの心ご覧になって、優れている、平凡だとお思いになったのだろう。」
古の帝のなさったことについて述べている。それがなされなくなった今はどうすべきかと、解決法が要ることを暗示している。

コメント

  1. すいわ より:

    良くも悪くも人間の本性というのは変わらないものなのですね。貫之の嘆く「今」、先生も仰る通り、私たちの「今」と変わらないように思えます。古の帝のなさった事を復活するべく貫之は尽力したでしょうに、現代は?心を伝える技術は頗る落ちているように思います。

    • 山川 信一 より:

      そうですね。SNSは発達しましたが、個人が心を伝え合う機会が少なくなったように思います。真面目な話題を話し合う機会も場もあまりありません。
      コロナ禍の自粛生活が輪を掛けました。和歌の技術から学ぶことがありそうです。

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