七日、けふはかわじりにふねいりたちてこぎのぼるに、かはのみずひてなやみわづらふ。ふねののぼることいとかたし。かゝるおひだにふなぎみの病者もとよりこちごちしきひとにて、かうやうのことさらにしらざりけり。かゝれどもあはじのたうめのうたにめでゝ、みやこぼこりにもやあらむ、からくして あやしきうたひねりいだせり。そのうたは、
「きときてはかはのほりえのみずをあさみふねもわがみもなづむけふかな」。
これはやまひをすればよめるなるべし。ひとうたにことのあかねばいまひとつ、
「とくとおもふふねなやますはわがためにみつのこゝろのあさきなりけり」。
このうたは、みやこちかくなりぬるよろこびにたへずしていへるなるべし。あはぢのごのうたにおとれり。ねたき、いはざらましものをとくやしがるうちによるになりてねにけり。
問1「かうやうのことさらにしらざりけり」とあるが、なぜ船君をこういう人物に設定したのか、説明しなさい。
問2「とくとおもふふねなやますはわがためにみづのこゝろのあさきなりけり」を鑑賞しなさい。
問3「あはぢのごのうたにおとれり」とあるが、その理由を説明しなさい。
やっとのことで川に入ったのだが、今度は水が干上がって船が進まない。こうしている内に船君である病人は、元々無風流な人であって、和歌を詠む教養が少しも無かったのだったのだが、淡路の老女の歌に感心して、都が近づいて嬉しかったのだろうか、やっとのことで妙な歌を捻り出した。この設定は、船君が貫之ではないことを示すためである。言い換えれば、『土佐日記』がフィクションであると言いたいのだ。(問1)
さて、その歌は、
「やっとのことで来ては、川の堀江の水が浅い状態で、船は行き進むのに悩みわずらい、我が身は、病に悩み苦しんでいる。」
この歌は、病を患っているので、その状態を情景に重ねて詠んだに違いない。一つの歌でその出来に満足できなかったので、もう一首、
「少しでも早くと思う船がなかなか進まないのは、私のために都に近づいて喜びに満ちる心が、水が不足して浅くなってしまった川のように、全体への思いやりが欠けているからだったのだ。つまり、船君としての自覚が足りなかったのだ。淡路の老女のように一番に喜びを歌にすべきだった。」
「みつ」に「満つ」と「水」が掛かっている。「浅き」は、水量が不足していることと思いやりに欠けることを掛けている。(問2)
この歌は、都が近くなった喜びに今の状態が堪えられなくて言ったに違いない。しかし、淡路の老女の歌に劣っている。船君は、癪に障る、言わない方がよかったのになあと悔しがる内に夜になって寝てしまった。
書き手が「あはぢのごのうたにおとれり」と評しているのは、どちらの歌についてもだろう。船君は、一つの歌で満足できず、もう一首詠んだがそれも及ばなかったと言うのだ。前者は、患っている思いしか表れていない。そこで詠んだ後者も、都に近づいた喜びが十分に出ていない。喜びよりもイライラする思いの方が強い。また、「わがため」と言うように自分が突出して、船君としての自覚に欠ける。船君であれば、全員の喜びを代表してもよかった。その点、淡路の老女の歌の方がそれに叶っていた。「御船」を主語にしていたからである。(問3)
コメント
嫗の歌は狙って詠んだ感がなく、その時の心情を鮮やかに歌い上げているように思います。船君は歌に触発されて詠んだものの、「我も上手く詠まねば」という気持ちが前面に出た、自分寄りの歌に仕上がった、ということなのでしょうか。嫗の歌は川を上るのと同じように気持ちが上昇しますが、船君の歌は進めない船と同じく、後ろ向きですね。
解説文を訂正しました。私の歌の読みも浅かったようです。貫之の歌は一筋ならではいきません。
すいわさんがおっしゃるように、「嫗の歌は狙って詠んだ感がなく、その時の心情を鮮やかに歌い上げてい」ます。それに対して、船君の歌は「船君の歌は進めない船と同じく、後ろ向き」です。その点、喜びを前面に出した嫗の歌に劣ると言えば劣ります。
ただし、この歌にこめた思いは深く、技巧も凝っています。決して不出来な歌ではありません。船君のこの時の心情を船が水量不足で進まない状況に託して、見事に歌っています。書き手の評価を一面的に受けれてはいけないのです。貫之はここでも読者を「欺して」います。
貫之を隠すための設定ですね。
クスッと笑ってしまいました。
私も凝った歌だなあと思いました。
水量不足と思いやりが足りなかったことを上手くかけて歌っていると思いました。
イライラの歌だけど、こんな日もありますよね。
やっぱり貫之の歌です。
貫之は、船君の歌を下手な歌のように見せかけて、船君が自分で無いと思わせました。
それと同時に、歌を読み取ることの難しさを言っています。真意がわからずに安易な評価を下してはならないと言うのです。
我々はとかく他者の評価にそそのかされる傾向があります。本当にそうかと、今一度立ち止まり、自分の頭で考えるべきです。