船旅初日

かくて宇多のまつばらをゆきすぐ。そのまつのかずいくそばく、いくちとせへたりとしらず。もとごとになみうちよせえだごとにつるぞとびかふ。おもしろしとみるにたへずしてふなびとのよめるうた、
「みわたせばまつのうれごとにすむつるはちよのどちとぞおもふべらなる」
とや。このうたはところをみるにえまさらず。かくあるをみつゝこぎゆくまにまに、やまもうみもみなくれ、よふけて、にしひんがしもみえずして、てけのことかじとりのこころにまかせつ。をとこもならはねばいともこころぼそし。ましてをんなはふなぞこににかしらをつきあてゝねをのみぞなく。かくおもへばふなこかじとりはふなうたうたひてなにともおもへらず。そのうたふうたは、
「はるののにてぞねをばなく。わがすすきにててをきるきる、つんだるなを、おややまぼるらむ、しうとめやくふらむ。かへらや。よんべのうなゐもがな。ぜにこはむ。そらごとをして、おぎのりわざをして、ぜにももてこず、おのれだにこず」。
これならずおほかれどもかかず。これらをひとのわらふをききて、うみはあるれどもこころはすこしなぎぬ。かくゆきくらしてとまりにいたりて、おきなひとひとり、たうめひとり、あるがなかに、ここちあしみしてものもものしたまはでひそまりぬ。

問1 なぜ「このうたはところをみるにえまさらず」と言うのか、答えなさい。
問2 「こころはすこしなぎぬ」と言うのは、なぜか答えなさい。

本格的な船旅が始まった。まず、宇多の松原の美しさに目を奪われる。松は古色蒼然としている。松には鶴が群がっていた。その感動に奪われて歌を歌うも、その素晴らしさを表現し得なかった。「心あまりて言葉足らず」であった。一方、言語表現の不自由さを訴えることで、その風景の素晴らしさを伝えている。(問1)一日中舟に乗り、日が落ちて、辺りは真っ暗になる。天気のことは舵取りに任せている。しかし、船旅は初めての経験であり、男も心細く、女は船底に頭を突き当てて泣いてばかりいる。ところが、船乗りや船頭たちは、慣れており何とも思っていない。舟歌を歌って気楽なものである。妻や女のことを歌って、笑っている。その様子から、海は荒れているけれど、心は和らいだ。経験者からすれば、この程度の海の荒れは、大したことがないことがわかったからだ。船旅が順調なのだ。(問2)ようやく今日の停泊地に着く。老人と老女が一人ずつ船酔いで食事をしないで寝てしまった。こうして、船旅初日の様子を多面的に描いている。

コメント

  1. すいわ より:

    船頭は荒波が子守唄のようなもの、でもまぁ、いつもの事だが陸のやわな貴族さん方にはキツイのだろうと旅人のあしらいにも慣れていたのでしょう。不安な状況下で一人でも落ち着いている人を見ると安心しますね。老若男女、旅の様子が良くわかります。

    • 山川 信一 より:

      舟人も含めて一行の様子がよくわかるように書かれていますね。わざとらしさも少しの無駄もありません。さすがです。

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