旅立ちの日時の異常さ

それのとしのしはすのはつかあまりひとひのいぬのときにかどです

傍線部に漢字を当ててみる。〈其れの年の師走の二十日余り一日の戌の時に門出す。〉これを現代風に言えば、〈十二月二十一日午後八時旅立つ。〉になる。「かどです」は、ともかく「それのとしのしはすのはつかあまりひとひのいぬのとき」はいかにも間延びした言い方である。しかし、〈某年十二月二十一日戌時〉と簡潔に書けない訳ではない。わざとこう書いている。現に、日にちについては、この後は漢字で記している。したがって、仮名文だから敢えて和語を使って表現しようとしたわけではない。もしそうなら、この後も〈はつかあまりふたひ〉などと書くはずである。しかし、そうなっていないのだから。
そこで、もう一度この日時を眺めてみる。漢字表記との違いはどこにあるのか。それは、くどさにある。くどさとは、時に強調でもある。では、何を強調しているのか。表現を検討していく。まず気が付くのは、「の」の多用である。五カ所使ってある。このことでそれぞれの語が強調される。「それ」「とし」「しはす」「はつかあまりひとひ」「いぬ」「とき」である。
「それのとし」は、具体的に示すのを避けたのだ。これは作者を女と思わせたのと同じ理由からだろう。貫之はよほど作者が自分であると思われたくないのだ。また、勝手に御想像くださいという思わせぶりでもある。その意味では、ちょっと関心をそそられる。「しはす」は、十二月のことだ。しかし、「しはす(師走)」と言った方が慌ただしさが感じられる。つまり、慌ただしさを感じさせたいのだ。それも「はつかあまりひとひ(二十一日)」だ。年の瀬も迫っている。ますます慌ただしい。しかも、その日の「いぬのとき(戌の時)」(午後八時)なのだ。これは、門出するのにふさわしい日時だろうか。とてもそうとは思えない。異常な日時である。つまり、作者は門出の日時の異常さを強調し印象づけたかったのだ。読者は「ええっ、なんで?よりによってこの日時?」という気持ちになる。
すると、そこから作者が何を伝えたかったのかがわかってくる。普通なら、年が明けるのを待って門出すべきなのだが、それが待てなかったという事情だ。そこから、一刻も早くこの地を去りたかったという思いが想像される。そして、それはなぜなのかという疑問も湧いてくる。

コメント

  1. すいわ より:

    なるほど、不自然な表記がこの先へ関心を持たせます。「の」の多用、伊勢物語九十一段
    「をしめども春のかぎりの今日の日の夕暮にさへなりにけるかな」
    を思い出しました。「の」でたたみかけて読む人に強く迫る印象を感じたのと同じく、ここでも「の」で強調された語から読み手に忙しない旅立ちを印象付けたのですね。

    • 山川 信一 より:

      表現にはそれを選んだ理由があります。好きなのに「バカ!」と言うこともあります。
      表現から表現者の意図をくみ取りましょう。それがわからないと、とんでもない誤解が生まれることもあります。
      『土佐日記』の読解を通して、その練習をしていきましょう。

  2. らん より:

    なぜ全部ひらがななのでしょうね。
    あと、師走のこの時間なのか。
    不思議ですごく気になります。

    • 山川 信一 より:

      ここででは、この時刻を強調したいからです。読者が不思議で気になるように書いているのです。
      説明はこの後にしてあるので、読んでください。

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