「先生はどこかお悪いんですか。ちっとも召しあがりませんね。」
「少し疲れたのでしょう。これから仙台の修道院でゆっくり休みます。カナダへたつ頃は、前のような大食らいに戻っていますよ。」
「だったらいいのですが……。」
「仕事はうまくいっていますか。」
「まあまあといったところです。」
「よろしい。」
ルロイ修道士は右の親指を立てた。
「仕事がうまくいかないときは、この言葉を思い出してください。『困難は分割せよ。』あせってはなりません。問題を細かく割って、一つ一つ地道に片づけていくのです。ルロイのこの言葉を忘れないでください。」
冗談じゃないぞ、と思った。これでは、遺言を聞くために会ったようなものではないか。そういえば、さっきの握手もなんだか変だった。「それは実に穏やかな握手だった。ルロイ修道士は病人の手でも握るようにそっと握手をした。」というように感じたが、実はルロイ修道士が病人なのではないか。元園長は何かの病にかかり、この世のいとまごいに、こうやって、かつての園児を訪ねて歩いているのではないか。
「ここでようやく、これまでの不自然さの答えが与えられたわね。」
「話の展開からすれば、ここからが第二部ってことになるね。」
「次第にルロイ修道士が自分をたずねてきた本当に理由がわかってきますね。ルロイ修道士の握手が病人の手を握るようだったのは、自身が病人だったんだと。そして、この世のいとまごいに来たんだって。」
「「わたし」は悲しい現実に気がつくんだ。」
「そして、ルロイ修道士の戒めの言葉が遺言のように思えてくるのね。」
「冗談じゃないって言いたいことなんだ。つまり、これはルロイ修道士を大切に思っていることだよね。大切な人に死なれたくないからね。」
「でもさ、どんな時にも教訓を垂れる。これこそ、教師のサガだね。ルロイ修道士は、どこまでも教師なんだよ。」
「この言葉はいいなあ。上手くいかない時に役に立ちそう。あたし、時々、やらなくてはならないことに押しつぶされそうになることがあるから。こうすればいいんだね。」
「ルロイ修道士を「元園長」と言っている。「わたし」にとっては、修道士というより園長なんだね。」
「だけど、この世のいとまごいに歩くのはなぜだろう。そういうものなのかな?また謎が生まれた。」
「ルロイ修道士は右の親指を立てた。」ってあるけど、ルロイ修道士は自然に指言葉が出るんだね。話題を変えたのは、病気について聞かれたくないからだね。
コメント
過去の振る舞いを謝罪して回るのも目的の一つではあるのでしょう。でも、天子園の子供たちに修道士が残せる事、『困難は分割せよ』という言葉ーーたとえ私が居なくなっても、困難を共に乗り越えた仲間たち、苦楽を分かち合った兄弟がいるのだと、それぞれの現況を把握し、報告して回り、繋ごうとしているのではないでしょうか。一人きりではないのだ、と。
何も「困難は分割せよ」を伝えるために回っていたわけではないでしょう。これはいかにもルロイ修道士らしい所作としてたまたま出た言葉だと思います。ルロイ修道士の人物像を表しています。
ルロイ修道士がかつての園児を訪ねて歩いているは、自分がしてきた仕事の成果を確かめたかったのかもしれませんね。
「困難は分割せよ」は、私のモットーでした。ルロイ修道士の言葉だったのですね。
「冗談じゃないぞ」が心に響きました。
大事な人とお別れするみたいなこと、そんなの嫌だよ、だめだよ、って気持ちが伝わってきました。
「困難は分割せよ」がモットーだったんですね。きっと、以前この本を読んで覚えていたのでしょう。
「冗談じゃないぞ」には、その思いと同時にルロイ修道士が死ぬような年齢じゃないことも伺えます。