メロスも、満面に喜色を湛え、しばらくは、王とのあの約束をさえ忘れていた。祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は、外の豪雨を全く気にしなくなった。メロスは、一生このままここにいたい、と思った。この佳い人たちと生涯暮して行きたいと願ったが、いまは、自分のからだで、自分のものでは無い。ままならぬ事である。メロスは、わが身に鞭打ち、ついに出発を決意した。あすの日没までには、まだ十分の時が在る。ちょっと一眠りして、それからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には、雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった。メロスほどの男にも、やはり未練の情というものは在る。
美鈴の番が来た。美鈴、頑張れ。
「ここは、揺れ動くメロスの気持ちが書かれています。しばらくの間、あの大事な約束も忘れています。「一生このままここにいたい」とまで思います。でも、無理矢理その心を否定します。頭と心が別のことを思っているんです。理屈では行かねばと思っても、「少しでも永くこの家に愚図愚図とどまっていたかった」とも思います。それを「未練の情」と言っています。だから、気持ちなんて当てにならないんです。それを当てにするからこうなるの。気持ちはその時その時で変わるものなんです。それが書かれています。前回の話につなげると、第三の邪魔が「未練の情」です。あと、表現の工夫は「満面に喜色を湛え」かな。いかにも花嫁の兄にふさわしい、落ち着いた笑い方って感じがします。」
「相変わらず、美鈴はメロスに厳しいわね。確かに感情は状況が変われば変わるわね。一方、信念とか信条とかは容易には変わらない。人はその間で揺れるもの。これもテーマの一つかな。」と真登香班長が補った。
「語り手は、メロスを高く評価していますね。「メロスほどの男」と言っているもの。この表現で読者にメロスが並の男ではないことを印象づけています。作者は基本的にメロスを受け入れてもらおうとしているんです。」とあたしが気がついたことを言った。
「そりゃあそうだね。自分が書く物語の主人公なんだからね。普通否定的には思わないでしょ。まあ、すべてがそうじゃないけどさ。」と若葉先輩。確かに作者はメロスに好意的だな。
「第三の邪魔が「未練の情」がと言うのはいいわね。前回の話に続けているわ。これがしたい、これが正しいと思っても、なかなかその通りに実行できないものね。その時にどんな障害が発生するがテーマの一つね。」と真登香班長がまとめた。
コメント
この心地よい場所にいついつまでも留まりたい、でも、私の半身(友人)を置いたまま留まることは出来ない。「出発を決意した」とある後にすぐさま出かけるのでなく、こうなるだろうからこうしよう、と行動には移さず逡巡しています。王という「権威」の前に出てもいつもの態度のまま媚びず、自分の「正義」を貫いた「メロスほどの男」、作者は多少向こう見ずの粗野で単純な愚か者であっても何より本人の信じる「義」を貫く者を読者に評価してほしいのですね。仕方のないやつだなぁと言いながら「美鈴、頑張れ」と言っている美奈子のように。
どんなにダメな人間にもいいとこれは一つくらいはある。そこを見てやろうと言うのが太宰治の人間観であるように思います。
何か一つでも失敗したら、全人生を全人格を否定するのが世の常ですから。それへのアンチテーゼだったのでしょう。