メロスは、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち彼は、巡邏の警吏に捕縛された。調べられて、メロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。メロスは、王の前に引き出された。
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」暴君ディオニスは静かに、けれども威厳を以って問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。
「市を暴君の手から救うのだ。」とメロスは悪びれずに答えた。
「おまえがか?」王は、憫笑した。「仕方の無いやつじゃ。おまえには、わしの孤独がわからぬ。」
「言うな!」とメロスは、いきり立って反駁した。「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ。王は、民の忠誠をさえ疑って居られる。」
「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ。」暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。「わしだって、平和を望んでいるのだが。」
「なんの為の平和だ。自分の地位を守る為か。」こんどはメロスが嘲笑した。「罪の無い人を殺して、何が平和だ。」
「だまれ、下賤の者。」王は、さっと顔を挙げて報いた。「口では、どんな清らかな事でも言える。わしには、人の腹綿の奥底が見え透いてならぬ。おまえだって、いまに、磔になってから、泣いて詫びたって聞かぬぞ。」
あたしの番だ。しっかり考えてきたから、今日は自信がある。
「「メロスは、単純な男であった。」とあるけれど、なんでわざわざこう言ったかが気になりました。メロスは、単純でくくられる男かしらって、思いました。だって、前回若葉先輩が指摘したように、「短絡的」「無計画」「人を信じやすい」「思ったことをすぐにやろうとする」「正義感に溢れている」「自信過剰」「自分がそう思えば、できると思っている」「世間知らず」「お馬鹿さん」とか、「子ども」とか「命知らず」とかいくらでも言えるもの。この多くは「単純」で代表されるかもしれないけれど、ずいぶんあっさりしているなと。そこで、思ったのは、作者はこう一言でくくることで読者の非難をかわしたのかなと。つまり、メロスのダメな部分から読者の目を逸らそうとしたのではないでしょうか?主人公を受け入れてもらうために。実際、この言葉によって、以下の無謀な行動が幾分か、気にならなくなります。作者は主人公を読者の受け入れてもらうためにかなり気を遣っています。これは日常でも使えるテクニックかも知れません。細かいことを言われる前に大雑把にくくってしまうのです。それで、批判をかわします。
で、暴君ディオニスが登場。「その王の顔は蒼白で、眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。」とあるけれど、いかにもって感じです。読者の期待に応えた顔つきです。
ここからは、メロスと王の対決が始まります。メロスが王と対等にやり合っている様子がわかります。メロスは負けていません。表現の工夫ですが、王には文語調の言葉遣いをさせています。「わからぬ」「ならぬ」「聞かぬぞ」などで、メロスの台詞との違いを出しています。「眉間の皺は、刻み込まれたように深かった。」で比喩が使われています。これは直喩です。その様子が目に浮かぶようになります。それと気づいたのですが、「憫笑」と「嘲笑」と笑いを対照しています。また、話し言葉、文語、漢語を適当に組み合わせて、飽きの来ない文体を作り出しています。あと、テーマですが、〈権威に立ち向かう勇気〉ではないでしょうか。」
「「悪びれず」ってどういう意味ですか?」と美鈴が聞いた。
「語句の意味は自分で調べろって聞いてるよね。人に頼らない。はい、辞書ひいて!」とあたし。
「え~と、「悪びれる」は〈悪者として捕らえられた人が、おどおどしたり、恥ずかしそうにしたりする。卑屈な態度をとる。〉とありました。と言うことは、「悪びれず」はそうしなかったことですね。メロスは堂々としていたんだ。」と美鈴。
おいおい、流れを読めよ。美鈴はまだまだだなあ。
「「単純な男」の指摘は、鋭いよ。納得した。よく考えたね。」と若葉先輩が褒めてくれた。
「王の表情の変化が面白いわね。最初は、威厳を持たせていたし、余裕があった。しかも、自分も被害者のようなことを言う。それがメロスに痛い所を突かれて、急に態度を変える。「憫笑」「溜息」「さっと顔を挙げて」と変化が巧みに書かれているわね。「蒼白」という色にも注目したいわね。血の気がないのは、人間らしい情に欠けるからね、きっと。」と真登香班長が指摘した。
「それにしても、メロスは何を考えているんだろう。のそのそ王城に入っていって、すぐ捕まっている。それから、王に言いたいことを言ったって仕方がないじゃないか。それと、思うんだけど、この国は小さいんだね。こんな小者まで王の前に引き立てられるのだから。」と若葉先輩が言う。もっともな指摘だ。
「そうね、これじゃ王の身が持たないわね。きっと王は人が信じられなくなって、何もかも自分で判断しないではいられなくなったんじゃないのかな?このことはそれを暗示しているのよ。」と真登香班長が言った。
確かに、人が信じられなくなると、何もかも自分でしないと気が済まなくなるね。哀れな王様。テーマとして、〈信じることと疑うこと〉もあるかな?
コメント
なる程、「単純な男」と一括りにする事で一旦ついてしまった印象がふんわりとぼかされて、続く王とのやり取りに集中出来ます。メロス、スーパーヒーロー登場とばかりに王の前に立っていますね。着の身着のままやって来て、剣だって牧人としていつも携帯している物でしょうに「俺の正義の剣を受けてみろ!」と。メロスにとって目の前にいるのは退治しなければならないただの「悪」でしかない。王はこの痴れ者がと憐むように相手していますが、シェークスピア劇でもフールは最強、主人公の脇で戯けふざけつつ真実を見せつけるもの。王はもう、無自覚なメロスの見せる真実に動揺してますね。フールが主人公の物語、どう闘って行くのでしょう。
ご指摘の通り、作者は読者が余計な「雑念」を持たないようにコントロールしています。作者が作り出した物語とテーマを伝えるためにです。
ただ、読者は作者の思いを超えて、つまりそうした作者の思いまでも読んでしまいます。作品が作者だけのもものでない理由がそこにあります。
美鈴ちゃんが辞書を引く場面が好きです。私は、「憫笑」を調べたのを覚えています。国語の授業がなくなってから、辞書を引きながら本を読むことをしなくなってしまいました。教科書に載る作品は、うるさいぐらいに注がついていて、自分で調べておくべき言葉も指定されています。それはけっこう役に立っていたと思います。自分で本を読むときも、もっと辞書を引こうと思います。
先生に、今さらながら伺いたいことがあります。中三「故郷」の時の、「偶像崇拝」は、ぜひとも意味を知りたい言葉だったのですが、辞書に「偶像をあがめ尊ぶこと」と書いてあって、大変にがっかりした思い出があります。「偶像」の項目を読んでも、よくわかりませんでした。四字熟語辞典も見たのですが、そこにも「偶像を…」と書いてあって、ほかの辞書で「偶像」を調べていることが前提になっているのかなと思いました。別の場面で、「責任転嫁」も「責任を他に押し付けること」と書いてあるのを見ました。「偶像」も、「責任」も、説明するのが難しい言葉だから仕方がないのでしょうか?
それは、「偶像」「責任」を引けということではありませんか?
もっとも「偶像をあがめ尊ぶこと」や「責任を他に押し付けること」は、明らかに手抜きですね。ちなみに、新明解国語辞典には、次のように出ています。
「神仏であるかのように、無批判に尊敬する」(「偶像」=〈金属・木石で作った人の形の意〉神仏にかたどって作り、信仰の対象とする像)「罪・責任などを他になすりつけること」(「責任」=自分の分担として、それだけはしなければならない任務」)
辞書を替えてみるといいでしょう。
『走れメロス』を読んでくださっているのですね。ありがとうございます。
先生、よい辞書を教えてくださって、ありがとうございます。ちょうど来月新版が出るのですね。運がいいです! 楽しみに待ちたいと思います。
読んでも楽しい辞書です。他の辞書もこの辞書が出てから、少しはましになったと思っていましたが、そうでもないのですね。