すると、エーミールは、激したり、僕をどなりつけたりなどはしないで、低く「ちぇっ。」と舌を鳴らし、しばらくじっと僕を見つめていたが、それから、
「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」
と言った。
僕は、彼に、僕のおもちゃをみんなやる、と言った。それでも、彼は冷淡に構え、依然僕をただ軽蔑的に見つめていたので、僕は、自分のちょうの収集を全部やる、と言った。しかし、彼は、
「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知っている。そのうえ、今日また、君がちょうをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ。」
と言った。
「この時のエーミールの反応って、いかにもって感じね。では、この反応からどんなことがわかるかな?」と明美班長が問題提起した。
「エーミールはかなり冷静だよね。なぜ「激したり、どなりつけたり」しなかったんだろう?」と真登香先輩がさらに疑問を口にした。
「さすがのエーミールでも、最初ちょうが潰れていたのを見た時には感情が高ぶっていたけど、この時には収まっていたからじゃないかしら。」とあたしが答えた。ずいぶん時間が経っていたからね。
「そうかな、怒りってそう簡単に収まらなくない?」と若葉先輩が反論する。
「普段から感情的になることがなかったからじゃない?感情的になるのは、自分にふさわしくないと心得ていたんだよ。」と真登香先輩が別の見方をする。
「それもあるけど、エーミールは「僕」ほどはクジャクヤママユを愛していなかったんじゃない。それは自慢の種に過ぎなかったんだから。まさに「ちぇっ」って感じ。そういう意味では、エーミールは正直だと思う。」と明美班長が自分の考えを述べる。
「ちぇっ、そんなくだらない理由なんだ。」って感じかな?
「なるほどね。じゃあ、「しばらくじっと僕を見つめていた」とあるけど、何を考えていたのかな?」と若葉先輩が聞いた。
「エーミールのクジャクヤママユへの愛はそれほどではなかったけど、自分に被害を与えた「僕」は許せなかった。だって、それはみんなに自慢して、優越感に浸るための格好の材料なんだから。そこで、コイツにどう復讐してやろうか考えていたんじゃないかしら?」と明美班長が自説を展開した。
「わかるような気がする。「僕」のしたことは、盗みは盗みだけど、一応は返したし、謝りにも来た。その点ではあまり責められない。では、どうするか、そんなことを考えていたんだね。」と若葉先輩が同意した。
「それが「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」という台詞だね。このあたりで責め方の方針が決まったんじゃない?」と真登香先輩も賛成して、意見を述べる。
「この台詞は、指示語が多いよね。「そうか、そうか」とか「そんなやつ」とか。敢えて指示内容を直接言わないところが恐ろしい。自分の気持ちを伏せて、相手に考えさせるんだ。こわいねー。人を責めるのになれてるって感じ。こいつ、先生の息子だしね。」 と若葉先輩が指摘した。
やっぱり、若葉先輩は先生に対しては評価が厳しいなあ。ここからは堰を切ったように次々に意見が出た。
「そうすると、「僕」はエーミールがどう思っているのかわからなくなり不安になるわね。ただ、自分がエーミールの価値観で決めつけられていることだけはわかる。」
「エーミールは、どうすれば相手を痛めつけることができるかをよく知っているんだなあ。」
「たぶん、エーミールは「僕」が何を言いたいのかは、わかっていたんだと思う。でも、決して、理解しようとは思わない。一方的に自分の論理を押し付けて評価するんだ。」
「「僕」の大切にしているものを――おもちゃもちょうの収集も――すべて否定することで、徹底的に上に立とうとしているんだ。」
「「僕」を裁く立場をキープしようとする。」
「盗んだことを責めないで、ちょうの扱いがなっていないことを指摘したのはなぜ?」
「盗んだことは、こうして謝っているんだから、それ以上責められないからね。自分から告白したんだから、立派になってしまう。それに対して、ちょうをだいなしにしたことは責められる。」
「しかも、それこそが「僕」のプライドを傷つけるのに最も有効な材料だったんだ。」
「「僕」がどんなにちょうを愛しているか、知っていたからね。」
「エーミールは、一番痛いところを突いたんだね。ちょうは「僕」のすべてだったからね。」
エーミールは恐ろしい子だなあ。そこまで計算して、あるいは無意識に行動しているんだ。「僕」は、まるで蜘蛛の糸にかかった蝶みたい。
コメント
言葉も出ない程の残酷さです。年齢的に「僕」は幼い。それでも子供なりの精一杯の償いを申し出ていた。それに対してエーミールは償わせないという罰を負わせることで「僕」の自尊心を完膚なきまでに叩き潰す。「僕」という蝶を手に入れたのですね。それはクジャクヤママユ同様、愛すべきコレクションではなく、人より優位に立つ為のカードに過ぎない。半永久的に有効な拘束力で「僕」の心臓を標本宜しくピンで留めて、身動き出来ない様を見て冷笑する、、そんなエーミールも人の子で自慢の息子なのですよね。極めて従順、功利的に行動する。ヒトラーユーゲント、紅衛兵を彷彿とさせて、「教育」というものを考えさせられます。
ここにはヘッセの何重もの批判が込められているように思われます。その中に教育批判があります。だからこそ、エーミールを先生の息子にしたのです。
エーミールのやり方は、父親のまねです。これはまさにある種の教師の姿です。
「君がちょうをどんなに取りあつかっているか、ということを見ることができたさ」
という言葉は、僕に対する最高の侮辱の言葉ですね。
僕の頭の中で張り詰めていた糸がプツンと切れてしまった音が聞こえました。
エーミールは、何と言えば「僕」を最高に痛めつけられるかをちゃんと知っていたのです。
もしかすると、ちょうに夢中になれる「僕」に嫉妬していたのかもしれません。自分にはそういうものがなかったから。
そこでそんな自分を正当化するためにこう言ったのでしょう。