第百二十二段 ~愛の誓い~

 昔、男、ちぎれることあやまれる人に、
 山城の井出の玉水手にむすびたのみしかひもなき世なりけり
といひやれど、いらへもせず。


 昔、男が愛を誓った言葉を破った女に、
〈一緒に山城の井出の清らかな水(「玉水」)を手に掬って(「むすび」)手で飲みましたね。それなのに、あなたを信じた甲斐もない二人の仲(「」)でありましたよ。〉
と言ってやったけれど、女は返事もしなかった。
 男の歌は、二人が仲がよかった頃の出来事を具体的に述べて、女に幸せだった日々を思い出させようとしている。「たのみし」には〈手(た)飲みし〉と〈頼みし〉が掛かっている。そして、今の悲しい気持ちを言って、女の同情を買おうとした。しかし、その効果はなかった。女は無視する。
 別れの詳しい事情はわからない。ただ、愛の誓いは意外と無力なのだ。男女が愛の絶頂にある時には、恥ずかしげもなく甘い言葉で愛を誓い合う。しかし、時と共に愛が冷めてくると、言葉だけが浮いてしまう。そうなると、そんな言葉は忘れ去られてしまう。裏切りに男も女もない。どちらも裏切る時は裏切る。一度腹が決まった後では、歌でさえも時を戻すことは難しい。

コメント

  1. すいわ より:

    男は約束を違えられ、女に去られる。上手い歌を贈っても返事すらない。男は誓いの言葉に捉えられて現況を受け入れられない。良い時は「痘痕もえくぼ」、ひと度悪く転じれば、その全てが憎く感じられたものか。女は「そんな昔のことなんて知ったことじゃないわ」と一層逃げの一手なのでしょう。言葉はつくづく生き物なのだと思います。誓うと言葉で言ったとしても、それと同じだけ、人は嘘もつく。唯一、この不確かで厄介な“生き物”と付き合わざるを得ないのが人間、ならば飼い慣らすしかありません。現代人は平安人に学ばねばなりませんね。

    • 山川 信一 より:

      人の心は移ろいやすいもの。だから、これに文句を言っても始まりませんね。そこで考えます。心を作る材料は何かと。
      心は予めあるものじゃなくて、そうすいわさんのおっしゃるように生き物だから、材料次第でいくらでも変えることができます。
      男が女に去られたのは、この自覚に欠けたからではないでしょうか。もっと早く手を打つべきでした。つまり、自分がいかに魅力ある男なのかをアピールする材料を与えるべきでした。
      この歌を歌う頃には手遅れだったのです。しかも、この歌はなかなかいい歌ではあるけれど、女の心を動かす何かが足りません。
      そう思って読んでみると、グッとくるものが今一つありません。この段は、歌の力不足を言っているのかもしれません。

  2. らん より:

    愛を誓いあったのに、愛が冷めてしまったのですね。
    人の心は移ろいやすいです。悲しいことに。
    「いろいろ不満はあるけれど、この人のここは私はずっと好きなのよ」と感じてもらえる魅力がきっとこの男には無かったかなと思いました。
    歌も後ろ向きで寂しい感じで、女の心を取り戻すことはできませんでしたね。

    • 山川 信一 より:

      感情は、常につくられていくものです。愛は単なる感情ではありませんが、感情にも左右されます。
      ならば、感情を生み出す材料としての事実を積み重ねて行く必要があります。それを大事にしたいですね。

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