第百十五段 ~賢い女~

 昔、陸奥(みち)の国にて、男女すみけり。男、「みやこへいなむ」といふ。この女、いとかなしうて、うまのはなむけをだにせむとて、おきのゐで、みやこじまといふ所にて、酒飲ませてよめる、
 おきのゐて身を焼くよりも悲しきはみやこじまべの別れなりけり


 昔、陸奥の国で、男女が一緒に暮らしていた。男が「京へ行ってしまうつもりだ。」と言う。この女は、たいそう別れを悲しんで、せめて餞別の宴だけはしようと思って、「おきのゐで」「みやこじま」(共に地名)という所で、男に酒を飲ませて詠んだ、
〈熾火(「おき」)がまとわりついて(「ゐて」)、身を焼くことは苦痛ですが、それよりも悲しいことは、京へと旅立っていくあなたとの、みやこじまのほとりでの別れです。〉
 この歌は、『古今和歌集』の墨滅歌・物名に、小野小町の歌として入っている。「をきのゐ」「みやこしま」を詠み込む歌になっている。墨滅歌とは、藤原定家が校訂の際、墨で消した歌である。定家は価値を認めなかったようだ。しかし、この歌は実に凝った歌である。「おきのゐ」には、〈熾(をき)〉と〈ゐ〉が、「みやこじま」は、地名に〈みやこ(京)〉が掛かっている。しかも、女の悲しみが巧みに表現されている。男はこんないい女を残して京に行くことをためらったのではないか。少なくとも何かあれば、女のところに帰って来るだろう。第百十二段、百十三段の男のように相手を非難しないところがこの女の賢いところである。小野小町の歌をもとにしているので、陸奥の国の女の歌としてはややできすぎである。
 男はなぜ京に行こうとしたのだろうか。男も地元の人で、男は京で一旗揚げようとしたのか。しかし、次の段からすれば、一時的に陸奥にやって来た男であるようだ。前半に出て来た東下りのこぼれ話なのだろう。

コメント

  1. すいわ より:

    「置き退く」なのだと思いました、私をおいて都へ戻ってしまうのね、と。男の旅路で出逢ったのだとすると「すみけり」と書かれるだけの時間を過ごしているのですから、女への思いは厚いはず。餞の宴、酔って眠りについた男の背中にこの歌を詠んだものか。本心を直接ぶつけてなじるようなことはしない、賢い女でも連れ帰ることは出来ないのですね。女が哀れです。それにしても、男はうさを旅で晴らしますが、女はどうしていたのでしょう?
    寝ているふりをして男は女の歌を聴いていてくれると良いのですが。

    • 山川 信一 より:

      「おきのゐて」は活用からすると、「置き退く」にはなりません。こう取るしかなさそうです。別れることのつらさ悲しさをたとえたのです。
      この歌はうまのはなむけとして、直接男に贈ったのではないでしょうか。気持ちは伝えなければわかってもらえませんから。
      二人の関係ですが、「いなむ」をそのまま取れば、地元の男かもしれません。京で一旗揚げて、また帰ってくるからねとでも言ったのでしょう。
      京の男ならあまりに身勝手ですね。自己の行動を正当化できる理屈があったのでしょうか、

タイトルとURLをコピーしました