第百十二段 ~非難~

 昔、男、ねむごろにいひちぎりける女の、ことざまになりにければ、
 須磨のあまの塩焼くけぶり風をいたみ思はぬかたにたなびきにけり


 昔、男が熱心に言い寄り契りを結んだ女が、他の男に心を移してしまったので、
〈須磨の漁師が塩を焼く煙が風を激しい状態にしたせいで、思ってもいない方向になびいてしまいました。〉
 須磨に住む女だったのだろう。他の男に心移りしてしまった女に無念な思いを伝えている。思いには形がないので、煙が風になびく様子に託している。「」は、相手の男をたとえている。〈あなたの心は、煙のように不安定なのですね。男が言い寄れば簡単になびいてしまいます。それほど軽いのですね。〉こう非難している。もっとも、「」を何かやむにやまれぬ状況をたとえていると取ることもできる。そうなると男のやりきれない思いを伝えた歌になる。
風をいたみ」は所謂〈み語法〉で、〈~が~ので〉の意だと言われている。『伊勢物語』の中にも何度も出てくる。しかし、日本語の語感からすると、「~を~み」が直ちに〈~が~ので〉の意にはなりにくい。素直に取れば〈~を~の状態にして〉の意になる。それが結果的に、〈その状態のために〉という意味になるのである。

コメント

  1. すいわ より:

    女の様子が全くわからないので何とも言い難いのですが、男の思いが強く、一方的だったのではないでしょうか。押しの強さに負けて契りを結んだものの、男の気持ちに追いつけなかったのでは。それで他の男になびいた、とすると、女も流されやすい人だったのかもしれない。塩焼く煙は目に染みて、流す涙も塩辛いものだったでしょう。

    • 山川 信一 より:

      「ねむごろにいひちぎりける」とあるところからすると、無理をして口説いたのでしょう。男にはその甲斐もなくという思いが強かったに違いありません。
      しかし、女からすれば、男があまり熱心なので一時的に心を許しただけで、元々そんなに好きじゃなかったのかもしれません。だから、容易く心移りしてしまう。
      無理して口説いても、思い通りにはならないということなのでしょう。

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