第百十一段 ~恋のチャンス~

 昔、男、やむごとなき女のもとに、なくなりにけるをとぶらふやうにて、いひやりける、
 いにしへはありもやしけむいまぞしるまだ見ぬ人を恋ふるものとは
返し、
 下紐のしるしとするも解けなくに語るがごとは恋ひずぞあるべき
また、返し、
 恋しとはさらにもいはじ下紐の解けむを人はそれとしらなむ


 昔、男が高貴な女のもとに、亡くなった人を弔問するように見せかけて、(この女を口説こうと)歌を言い送った、
〈いにしえの昔にはあったかもしれませんが、私は今こそ知りました。まだ逢ったことのない人を恋しく思うものとは。〉
返し、
〈(人に恋されることは)下紐が自然に解けることを証拠としますが、解けないのですから、あなたがおっしゃるようには、私に恋していないに違いありません。(うまいことをおしゃってもその手にはのりませんよ。)〉
また、返し、
〈恋していると決して(「さらにも」)言おうと思いません。ほどなく下紐が解けることでしょう。それをもって、あなたには私が恋い慕っていると知って欲しいと存じます(「なむ」は願望の終助詞。)〉
 亡くなった人は、「やむごとなき人」の身内ではあるけれど、それほど近しい関係にはなかったのだろう。悲しみに暮れていたら、さすがに、恋を仕掛けることはできない。
 しかし、こういう非日常に有る時こそ、人は恋をするものである。吊り橋効果というものも有るのだから。男はその機会を巧みに捉えて恋を仕掛ける。
 女も直ぐに男の真意を悟り、応じている。表面上は断りの内容になっているけれど、「下紐」などというきわどい言葉を使っているところから見ると、恋に応じる気持ちは十分にある。男はその気持ちを見逃さない。言葉には、本音が表れる。女は、意識的か無意識的かわからないけれど、男に誘いをかけているのだ。

コメント

  1. すいわ より:

    三十九段でも葬儀時の恋の駆け引き、ありました。今回は双方「色好み」の浮名を流す手練れなのでしょう。「やむごとなき女」であれば、身元も知れた誰もが知っているであろう、いい女。葬儀で人の集まった中、「あぁ、面識は無いけれど、あれが噂に聞く彼の人か」と女がどう出るか様子見の歌を送る男。それに対する女の歌の大胆さ。断ると見せかけて相手がどう返すか、誘いをかけて男の程度を見極めようとしている。応じたと見た男は女の歌を受けて上手い歌を返す。
    鮮やかな恋愛ゲーム、葬儀の場である事を忘れ去らせてしまいます、、、

    • 山川 信一 より:

      『お葬式』という映画がありました。葬儀とは、ドラマが生まれる舞台としては、かっこうの場なのでしょう。
      『伊勢物語』も第三十九段に続いて、二度目です。『伊勢物語』の作者はそのことをちゃんと知っていたのですね。
      恋は秘密めいたところがあります。葬儀の場は、その恋の味わいを一層深くします。男も女も相当なものです。

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