第九十五段 ~歌の力~

 昔、二条の后に仕うまつる男ありけり。女の仕うまつるを、つねに見かはして、よばひわたりけり。「いかでものごしに対面して、おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるかさむ」といひければ、女、いと忍びて、ものごしにあひにけり。物語などして、男、
 ひこ星に恋はまさりぬ天の河へだつる関をいまはやめてよ
この歌にめでてあひにけり。

 昔、二条の后にお使い申し上げる男がいた。女で、同じく后にお仕え申し上げている女を、常に見交わして顔見知りになり、口説き続けたのだ。「何とか、せめて物越しにお逢いして、もどかしく(「おぼつかなく」)思い詰めていることを、お話しして気持ちを晴し(「はるかさ」)たいのです。」と言ったので、女は、慎重に人目を忍んで、物越しに逢ってしまった。あれこれ話などして、男は、
〈私はあなたに逢えず、こんなにつらい思いをしています。彦星に恋の苦しさでは勝ってしまいました。(だって、彦星は一年に一度にせよ、織り姫に逢えるのですから。)まるで天の河のように二人を隔てている関をもう止めて取り外してしまってください。(「てよ」は意志的完了の助動詞〈つ〉の命令形。)〉
この歌の感動して、女は男と懇ろな仲になってしまった。
 これは、業平と思われる男とは別の男の話だ。二条の后の周りでは、このような恋もあったということだ。ここでも、歌が物を言う。
 女が慎重に人目を忍んだのは、自分が軽い女に見られないためと、男がはして逢う価値のある男かを試すためだろう。それが、女は、織り姫にたとえられて、ロマンチックな気分になったに違いない。そこに、女は、男の歌のセンスを感じた。そして、この人なら、これからも自分を楽しませてくれそうだと思う。この時代は、歌の上手さがもてる秘訣だった。恋に勝利するためには、男はまず歌の教養を身につけねばならなかった。
 では、現代ならどうだろう。地位やお金が女の心を捉えるのだろうか。上手な歌を贈られても女が何とも思わなかったら、何とも情けない時代になったものだ。

コメント

  1. すいわ より:

    十九段にも同じ勤め先の二人のやり取りがありました。人集う所、出逢いありですが、やはり人の目が気になる所ですね。そんな中、男はめげずに押して、最後の一手、歌で女の心を掴む。唯一無二の贈り物、形が無くても、形が無いからこそ誰にも奪うことの出来ない宝物。人の価値観はそれぞれですけれど。
    この段の男はその場で歌を詠んで聞かせたのでしょうけれど、シラノ・ド・ベルジュラックのように誰かの代わりに上手い歌を詠む人もいたのでしょうか、、。

    • 山川 信一 より:

      誰かの代わりに歌を詠むこと自体は普通に行われていました。だから、可能性としてはあり得たでしょう。
      でも、それで女を手に入れても空しいのではないでしょうか。それがわかっている人はしないでしょう。
      価値観は人それぞれですけど。

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