第百四十段    遺産の心得

 身死して財残る事は、智者のせざるところなり。よからぬ物蓄へ置きたるもつたなく、よき物は、心をとめけんと、はかなし。こちたく多かる、まして口惜し。「我こそ得め」などいふ者どもありて、あとにあらそひたる、様あし。後は誰にと心ざすものあらば、生けらんうちにぞ譲るべき。朝夕なくてかなはざらん物こそあらめ、その外は何も持たでぞあらまほしき。

「その身が死んで財産が残ることは、智者のしないところである。碌でもない物を蓄えて置いてあるのもみっともないし、よい物は、生前にさぞ執着したのだろうと、それを見ると空しくなる。甚だしく多いのはまして残念だ。「自分こそ貰いたいものだ。」などと言う者たちがあって、死後に争っているのは、みっともない。死後は誰に贈ろうと決めている物があるなら、生きている内にこそ譲るべきだ。朝夕無くては困る物は持っていて良いだろうが、その他は何も持たないでありたいものだ。」

遺産は無い方がいい。残した物により、「あの人はこんな物に執着していたのだ。」と自分の生き方が判断される。それは、愉快なことではない。また、遺産が多いと、相続争いの原因になりかねない。死後に争いの種を残すべきではない。したがって、持ち物は日常生活で必要な最低限度の物に限るべきだ。
兼好の主張をざっとまとめるとこうなる。つまり、兼好は、死後他者に迷惑を掛けるべきではない、そのためには、日頃から物に執着せず、持ち物は最低限にすべきだと言うのだ。なるほど、もっともな考えである。物に囚われていると、正しい生き方を見失うことが十分に予想される。物に振り回されたくはない。まして、死後に他人を巻き込むべきではない。スッキリ生きる。他者に迷惑を掛けない。良い心掛けである。現代の「断捨離」や「ミニマリスト」に通じる考え方でもある。
とかく生きることは、煩わしく、他者に迷惑を掛けるものである。このくらいの自覚があってもいいだろう。ただし、気をつけなくてはならないのは、こうした生き方自体が目的になって、それを実現することに自己陶酔することだ。これでは、何のために生きているのかわからない。そういう人物をたまに見かける。何事も手段と目的とを混同してはならない。

コメント

  1. すいわ より:

    自分の手に余るものは持たない、でも、これもバランスですね。何でもかんでも捨て去って空っぽというのもどうなのでしょう。自分で管理できる分を大切に長く使う事で無駄は自然と省いて行けるものと思います。
    残されたものの始末を任される苦労も身に沁みているので、共感するところの多い段でした。

    • 山川 信一 より:

      現代は「断捨離」が流行っています。それに対して五木寛之が『捨てない生きかた』という本で反論しています。物も自分の人生なのだ、人生は捨てられないと。どっちもどっちです。
      しかし、すいわさんがおっしゃるように「残されたものの始末を任される苦労」は侮れません。

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